旧blog ぼくと「かえる」日記(引越し先)
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「かえる」の「こじろう」の見たこと,聞いたこと,感じたこと。
ようこそぼくと「かえる」日記2へ!
今までも読んでくれてたみんなも,偶然発見したみんなも,遊びに来てくれてありがとう
なんだかんだで「かえる」日記も2冊目に突入したんだなっ♪
突然の2度のアメリカ赴任,そして帰国後の生活はドラマのように大どんでん返し
やっと状況が落ち着いたかと思いきや,急な転勤辞令で落ち着かない事この上ない
人生いつ何が起きるか分からない
そんなジェットストリームな日々に振り回されっぱなしな「かえる」が,だらだら綴る日記だ。
お暇な時にでも,覗いてみて欲しいんだなっ♪
地を這う大蛇。~鞍馬でハイキング その7。~ [ぷらぷらっと京都]
さて,前回最後に紹介した木の根道のお話だぞっ♪
まずは,前のblog見直すの面倒だ~って言われそうなので,同じ写真を再掲しよう。
何なんだこの木の根っこは!?
(地這い大蛇ってこんな感じなんだろうか・・・って分からない人は知る必要はないネタだ )
むき出しとなり,一部は浮かび上がり,まるで蛇がのたうちまわるかのような木の根。
恐ろしくもあり,同時に神秘的でもある不思議な光景だな。
で,どうしてこうなった?
案内によれば,この辺りは地面がとっても硬くて杉の根が地中に入りにくい為,こんなふうに地表を這っているそうだ。
柔らか目の土壌が多めい一帯では,根っこが一部地中に収まっている。
この辺りには,ホルンフェルスと呼ばれるとても硬い地層があるそうだ。
ホルンフェルスは変成岩の一種。
変成岩って言うのは理科で習ったと思うけど,岩石に圧力や熱,化学変化が加わって作られたもののことだ。
この木の根道の場合は,堆積岩(多分,黄泥砂岩)が変化したもの。
元々あった岩石にマグマが入り込み,その熱によって,鉱物組成や岩石の組織が変化,再結晶したものなんだな。
変成岩の分かり易い例を挙げれば,石灰岩がマグマの熱で変化すると大理石になるのが有名だな。
聞きなれないホルンフェルスって言葉だけど,ドイツ語のhorn(ホーン,角)+fels(フェルス,岩)から来ている。
身近で見られるとしたら,博物館の石器コーナーかな?
ひょっとしたら,ホルンフェルス製の鏃とか斧があるかもしれない。
後は,東京近辺の人は知ってるかもしれないけど,上野にパンダ橋ってあるだろ?
あそこの「パンダ橋」って彫られた大きな石(黒っぽい方)は,ホルンフェルスだったと思う。
もう一つ,「かえる」は行ったことが無いけど,萩市の須佐ホルンフェルスという断崖なら画像検索で見ることができる。
「できるだけ木の根を踏まないように」
勿論,踏むつもりはないし,木の根っこにひっかかって転んだりしないように,気を付けて歩き始める。
普段は,だらだらと生活している物臭「かえる」は,今日の日の為にトレッキングシューズを用意したんだからな。
やっとのことで辿り着いたゴールにテンション高めだ。
と,人の気配を感じたので,木の陰でひっそり写真を撮ろうとしていたら声をかけられた。
・・・Excuse me?
あぁ,やっぱり見つかってしまったか。
ひょこっと顔を出し返事をすると,アジア系の女の子が一人佇んでいた。
この地図の場所を探しているんだけど・・・と。
地蔵堂ならさっき見かけたから,あっちだなぁ~と返すと,台湾から来たと教えてくれた。
どうやら貴船神社側から登って来て,現在地が分からなくなったそうだ。
本殿側から登って来た「かえる」は見所ポイント抑えつつ歩いているので,現在地が分からない理由が不明だったけど,この先暫く何もないのかなぁ?とちょっぴり不安になってきた。
この近くに杉を祀った社があるようなんだけど・・・
なんだこれは・・・・・・。
ひょっとして・・・これは,ご神木だったもの?
やっぱり大杉権現社だった。
聞いていた話では,ご神木は昭和の頃の台風で折れてしまったみたいだな。
でも,この荒れ様は絶対に去年の台風が原因だろ?
御神木についてはこの山を護って倒れたのかもしれないし,たまたま代替わりのタイミングだっただけかもしれない。
ただ,台風って怖いよなぁ~と改めて思った。
そう言えば,この辺りは大杉苑瞑想道場って呼ばれるらしい。
鈍感「かえる」には感じられなかったけど,護法魔王尊のエネルギーが高い場所なんだって。
つまりは,パワースポット??
確かに,人が集まれるような開けた場所が森の中にあったけど,この惨状では瞑想どころではないんじゃないかな。
まぁ,そんな状況下でも集中できる人もいるんだろうけど。
大杉社の為に脇道に逸れていたので,元来た道へ戻ることにした。
・・・・・・平日だからだろうけど,人少ないよなぁ~。
暫く歩いて見つけたのは,僧正ガ谷不動堂だ。
最澄の作ったお不動さんが奉安されているんだって。
鞍馬寺の説明によれば,最澄が天台宗を開く為に「一刀三礼を尽くし刻んだ不動明王」そうだ。
一刀三礼って言うのは,写経の時の一字三礼と同じで,一彫り毎に三度礼拝するって言われてるけど,実際にはそうでもないみたいだな。
普通,仏像を彫る時には仏の姿を思い浮かべて始めるわけだけど,彫っている時に集中が切れたり思い浮かべた姿にブレが生じたら一旦,中断。
心を静めて,また姿が結ばれたら彫り出すっていうのを繰り返すんだって。
一彫りや一文字書いて三度礼拝するのでもいいとは思う。
でも,それをしていたら大きな仏像だったらできあがる前に寿命が尽きる気がする。
だから,「三度礼拝する」そんな気持ちで行いなさい,って言う教えなんじゃないかな。
何が正しいのかは分からないけど,それもまた修行だと思えば,乗り越えられるものだったのかもしれないけど。
おや,カエルがいるらしい。
視線を感じて目をやった先には・・・・・・
常滑で見たことがあるようなカエルだな(;´Д`)
いよいよ39番のポイントまでやって来た。
義経の御魂が鎮まっている場所らしい。
奥州で死んだ義経の魂は,天狗について修行した僧正ガ谷へ戻って来たそうだ。
そして遮那王尊として護法魔王尊の元で破邪顕正(間違った考えや教えを打ち破り,正しい教えを示す事)の働きを助けているそうだ。
うん・・・そろそろ「かえる」の頭はオーバーヒートを起こしかけている気がする。
蒼き狼義経説は受け入れられる程度の頭のキャパはあるんだけどなぁ~。
さっきの木の根道といい,この義経堂付近の巨大な杉といい,確かに天狗が出てもおかしくない雰囲気はするな。
そして,例え天狗は存在しなかったにしても,ここで幼少期を過ごした義経は足腰が丈夫だったんじゃないかなって思えてくる。
そうすると,八艘飛びの伝説も全てが作り話って訳じゃないのかもしれないな。
残すポイントはあと一つ,奥の院だけだ。
逸る気持ちを抑えつつ,再び歩き出す。
あ~,これは気を付けないと転びそう。
ここから先は,こんな感じの道が続くっぽいな。
極相林(きょくそうりん)の説明。
要は,様々な植物が入れ代わり立ち代わり育って行って,最終的に豊かな土壌を持つ安定した環境の林が出来上がる。
このクライマックスな状態が極相って訳だ。
豊かな土壌のお陰で,虫や生き物も生きることができる。
こういった状態になるまでには,200年から300年かかるんじゃないかな?って事だ。
そんなクライマックスレベルの山の中を歩いていると,最後の目的地奥の院魔王殿に到着したようだ。
1upキノコみたいだな。
未だに「魔王尊」と聞いてもゲームとかお話に出てくる魔王のイメージが先行してしまう。
太古より護法魔王尊が降臨した磐座・磐堺(いわくら・いわさか)として,人々から崇拝されてきた場所だそうだ。
前にも書いたけど,何しろ650万年前に金星からやってきた永遠の16歳だからな。
磐座・磐堺があるって事は,なんらかパワースポット的なものとして信仰を集めてきたんだろう。
そこに降り立ったのが,魔王尊だったのか金星人だったのか分からないけど,何かロマンを感じるな。
馬酔木の花からだろうか,微かに甘い香りが漂う。
はぁ~,随分下って来たぞ。
下から見上げるとこんな感じの場所もある
この付近ですれ違った外国人のカップルは,短パンにTシャツで手ぶらだったけど大丈夫なんだろうか?
気になったけど,何処の言語か分からない言葉を話していたので声はかけなかった。
まぁ,きっとすぐに戻って来るんじゃないかな。
この後に,アメリカ人っぽい人とすれ違ったけど,なんでみんな貴船側から登って来るんだろ?
台湾の子も貴船側から来たようだったし。
う~ん,登りがキツイ貴船側から入る理由が知りたい。
因みに脇にある手すり(ロープの事も)は,あくまでもガイドロープ的なものだと思った方がいい。
何故って,足場が悪くて思わず掴んだら,微妙な感じがしたから (・ω・;)
奥の参道へ向かう時に借りた金剛杖(?)があったから助かったな。
本当はトレッキングポールを持って行こうかと思ったんだけど,知り合いに話したら笑われたんだ。
それと杖の貸し出しがあるのは知ってたから,あえて持って行かなかった。
でも,あったらあったで安心できたんじゃないかな?
稲荷山でも遭難があるように,低山ハイキングでも油断大敵だからなっ♪
やっと西門(貴船側)へ到着!
はぁ~,いい運動になったし,色々楽しかったなっ♪
という訳で,鞍馬山のハイキングのお話はこれでおしまいだ。
次回は,この後,貴船に行ったお話でもしようかな
取り敢えず,ハラガヘッテ来たのでおやつで〆ようか。
京都嵐山 月とと ほうじ茶ミルフィーユ。
嵐山に住む「トト」言う名のうさぎのイメージとそのお話から生まれたお菓子のシリーズなんだって。
個包装は助かる(特に暑くなると)。
美味しそうなキツネ色のミルフィーユ。
袋を開けると,あま~い香りが一気に広がるな。
ハラガヘッテルから,余計にそう感じるのかもしれない。
では,いっただきま~す!
厚みのあるパイ生地。
ほうじ茶色のクリームがサンドされている。
さくさくした軽い食感のパイ生地は,癖になりそうな感じだな。
そのパイにサンドされたほうじ茶のクリームは,ちょっと甘めかな?(「かえる」的には)。
もっと「「「ほうじ茶っ!!」」」って感じのものを期待したからだろうけど,思ったよりも控えめな感じだ。
宇治の丸宗さんのほうじ茶を使っているそうだけど,もうちょっとガツンときた方が好みかなぁ?
でも,もぐもぐしていると,口の中に仄かに軽やかな香ばしい香りが広がる。
う~ん,これはこれでいいのかもしれないな。
って,淹れたコーヒーの味と酸味が強いから甘く感じたのかもしれないな。
という訳で,京都嵐山 月ととのほうじ茶ミルフィーユに興味のあるみんなは,是非ともお試しして欲しいんだなっ♪
ミルフィーユではあるけど出来ればコーヒー以外で,繊細な香りを楽しんだ方がいいと思うんだな。
奥の院参道へ。~鞍馬でハイキング その6。~ [ぷらぷらっと京都]
実は,今,ちょっと忙しい。
NC赴任時の友人がこちらへ遊びに来るんだなっ♪
宿の手配とかは終わってるんだけど,どこで何をするかがまだ決まっていないんだ。
それで,ここ連日メールでやり取りしてるんだけど,まだ決まってなくてだな。
という訳で,さらっと流すことになると思うんだ。
それはそうと,葵祭に行ってきたんだ。
鳥用カメラじゃなくてタブレットなので,枚数はあるけど,正直言っていい写真は撮れなかった (´・ω・)
でも,折角なので斎宮代のだけUpしようかなと思うんだ。
鞍馬の話のキリが付いたら,他の写真も紹介するかもしれないけど・・・。
今日の分が鞍馬山のクライマックスになるんじゃないかな?
「かえる」的には,だけどな。
福寿星神の祠。
福寿星神は,七福神の福禄寿や寿老人として知られてる道教の神様だ。
道教って言うのは中国の三教(残りは儒教と仏教)の一つで,一番分かり易いのが神仙思想だな。
神仙思想って言うのは,仙術によって不老長寿の仙人になることを目指すものだ。
前にも書いたかもしれないけど,ある年齢以上の人なら「キョンシー」の方が分かり易いかな?
この思想があったお陰で,中国の医学は発達したと言われている。
みんなは「キングダム」っていう漫画を知ってるかな?
秦の始皇帝とか出てくるんだけど,その始皇帝は不老不死の薬を求めていたのは有名な話だろ?
え,横山光輝の項羽と劉邦なら読んだって?まぁ,そっちでもいいや。
で,不老不死の薬を作り出すのは現代医学でも叶わないけど。
でも,そんな昔から為政者は不老不死を求めた。
それが結果として,医学の発展に貢献したってことなんだろうな。
もう一つの思想は,老荘思想。
春秋戦国の楚の思想家である老子(太上老君)と戦国末期の宋の思想家である荘子の思想の事だな。
どちらも「あるがままを受け入れ自然に任せると,生きやすくなるよ」ってお話をしている。
自然の成り行きに任せるって言っても,怠けていいって言ってる訳じゃないんだけどな。
2人の違いと言えば,老子は処世術的な知恵も説いているけど,荘子は自分の内面を見つめる系っていうのかな。
まぁ,似てる部分も多いから二人まとめて老荘思想って呼ばれてる。
で,何を話していたか忘れちゃったじゃないか!
あぁそうだ,福禄寿と寿老人は道教の神様である南極老人が元になったとされているんだ。
この南極老人とはりゅうこつ座のカノープスの事を指し,平和な時にしか見れないとされていたそうだ。
しかも,この南極老人星を見た者は長生きができると言い伝えられているんだな。
じゃあ今夜探そうっ!って思ったみんなに残念なお知らせがある。
地平線ぎりぎりにしか出てこないそうので,本州では見つけることは至難の業らしいんだ。
そしてこの南極星は,厳密に言えば北極星とはちょっとばかり違う存在だ。
実は,今の南極星(北極星的な)と呼ばれる星はとっても暗い星だ。
でも,気の遠~くなるような未来にはカノープスが南極星に変わるらしいので,その時には名実ともに南極星になるんだろうな。
何しろシリウスに次ぐ明るさの一等星だからな。
とは言っても,そんな未来の事を誰も確認できないんだけど・・・。
今日も平常運転のようで,ハラガヘッテきた (´・ω・)
以前も紹介した気がするけど,本殿金堂へ続く石段だ。
ここまで来たら,あとちょっとだ。
巽の弁財天堂。
雑念が無い人は水琴窟の音が聞こえるそうだけど・・・。
残念ながら,煩悩「かえる」には聞こえず。
時々思うんだけど,どうも弁天様と相性がなぁ~ってな。
気を取り直して進もう。
前回も紹介した転法輪堂・洗心亭だ。
鞍馬石の手水鉢。
あれ,ひょっとしたら・・・・・・
やっぱり雪が残ってた!
ボケボケの一日乗車券で4月4日の残雪と証明してみる。
見ていたらトルネードポテトが食べたくなってきた。
本殿金堂前にも雪が残ってる。
杉が多いのに,マスク無しで歩けるのはアスファルトじゃないからか?
では,奥の院参道へレッツゴ~♪
与謝野晶子と寛(鉄幹)の歌碑。
位置が逆だけど,山門で貰ったマップにはそう書いてあるので,そのままで表記した。
「何となく君にまたるるここちしていでし花野の夕月夜かな」 与謝野晶子
「かえる」は,何となくこの先にある木の根道に呼ばれた気がして,新緑の美しい朝っぱらから,花粉の舞うこんな杉山へやってきてしまったぞ。
ハラがヘッテルので,やっつけ仕事的に与謝野晶子を真似てみたけど,絶対的な何かが足りないな。
「遮那王が背比べ石を山に見てわがこころなほ明日を待つかな」与謝野寛(鉄幹)
因みに与謝野晶子・鉄幹夫妻はは初代鞍馬弘教管長の歌のお師匠さんだったんだって。
移築された晶子の書斎冬柏亭。
冬柏は二人が刊行した雑誌の名前だ。
晶子の50歳のお祝いに,とお弟子さんたちから贈られた書斎なんだって。
さて,ここからが本番だ。
息つぎの水。
牛若丸が天狗との修行に向かう際に飲んだとされる湧き水らしい。
水は出てなかったけどな。
再び山を登り始める。
暫くは石段が続く。
屏風坂の地蔵堂。
どうやら今登っているのが屏風坂と呼ばれているようだ。
底から暫く進むと,何かのポイントを発見した。
源義経公背比石。
義経が16歳の時に,名残惜しみつつ背を比べた石だそうだ。
16歳・・・坊主になりたくないって言って奥州の秀衡の元へ出奔したんじゃなかったっけ?
本当に名残惜しんだのかどうか分からないけど,それでも故郷みたいなものだったろうし,ちょっとは寂しかったのかもしれないな。
やっと到着したようだ。
木の根道。
ここへ来るのに年越し(台風のせいで)って訳なんだな。
ごめん,ちょっともう色々と限界なので,今日はここまで。
鞍馬のお話は,もうちょっとだけ続くっ♪
懸魚の話。~鞍馬でハイキング その5。~ [ぷらぷらっと京都]
はぁ~暑いな。
日が沈んだのに室温が28度なんだけど・・・。
今晩はサーキュレーター頑張ってもらうとするかな。
さて,舞台は既に蒸し暑い名古屋から4月の鞍馬山へ移動するぞっ♪
深い緑の中で赤い灯篭が際立つ。
赤い灯篭って言うと貴船神社の参道の方が有名だと思うんだな。
でも,鞍馬の参道も捨てがたいと思う。
え,緑と赤でクリスマスみたいだって?
謎の中門。
元々は山門(仁王門)の傍にあったらしいんだけど,何故か山の中に突如として現れる。
移動された理由は知らないんだけど,これは勅使門として使われていたものだそうだ。
勅使門って言うのは,その名の通り「勅使」と呼ばれた「天皇の勅旨(意思)」を伝える人専用の門だ。
多分,みんなも一度くらいは勅使門を見たことがあると思うんだ。
すごく立派な門なのに柵が置かれていたり,閉ざされていて入れない門があるだろ?
そういうのって,勅使門だったりする事がある。
そう,現代でも一般人では通れない事が多いんだ(通れる門もあるけど)。
通れない門の前の案内看板に「勅使門」って書かれているかもしれないので,そういう門を見たらちょっとだけ注意してみて欲しいんだな。
で,common frogな「かえる」は,いつもと同じように門を通ることはせずにぐるりと大回りをした。
ひょっとして,こういうのもインスタ映えするのかな?
六葉の釘隠しなんだけど,沢山のハート模様がある。
残念だけどハートに見えるのは,猪目(いのめ)と呼ばれる日本古来の文様だ。
その名の通り「猪の目」がモチーフで,魔除けや火伏せの為に刻まれるおまじないのようなものだ。
余談だけど,名古屋市美術館にも猪目があるんだな。
豚の鼻のように見えるけど猪目だそうだ。
ご存知のみんなも多いと思うけど,名古屋市美術館はあの黒川紀章の設計した建物なんだ。
そして,建物内外に日本の意匠が散りばめられている。
銀色の双子鳥居と出世鳥居風な柱とか,桂離宮の手水鉢からアイディアを得たと言うパーゴラとベンチとか,独特の世界感が盛られている為「訳が分からないよっ!」って感じだけどな。
因みに,上の写真のソファーはミース・ファン・デル・ローエのバルセロナチェア(2人掛け)とマルセル・ブロイヤーのワシリーチェアだ。
バルセロナの方は,バルセロナ万博に出席したスペイン国王夫妻の為にデザインされた椅子だ。
ワシリーの方は,バウハウスで同僚だったワシリー・カンディンスキーにプレゼントされたので,カンディンスキーの名前からワシリーチェアと呼ばれているそうだ。
因みにワシリーは黒と白があって,2階にある白の方が少しお高いらしいぞ。
では,話を戻そう。
みんな大好き?懸魚(げぎょ)。
みんなが大好きかどうかはさておき,興味はもって欲しいかもしれない。
だって,懸魚ってとっても素敵だろ?
こちらの懸魚はかぶら懸魚。
蕪に似てるから「蔐懸魚」なのか,鏑矢の先の部分に形が似てるから「鏑懸魚」なのかは諸説ある。
一般的には,蔐懸魚と表記するようだけどな。
前にも書いたと思うけど*,懸魚は棟木の断面を隠し雨風から守る役割と火事除けのおまじない的な意味合いも持っている。
元々,懸魚は大陸から渡ってきたもので,中国では魚っぽいものも見られるそうだ。
なので,実は野菜の蕪とは関係ないんだな。
蕪のように見えるけど,きっと魚の尾っぽが変化したものなんだと思う。
*懸魚について参考までに : 「火サス」のあの場所。~南禅寺水路閣~
今回も以前紹介した懸魚はどちらもかぶら懸魚だけど,南禅寺の方がちょっとだけ装飾的だな。
懸魚とは大きな板の部分を指すんだけど,それを六葉で留めてる。
六葉って言うのはさっきの釘隠しもだけど,6枚の葉のような形の装飾だ。
中には4枚のや8枚のものもあるけど,何故か全部ひっくるめて六葉とよぶんだって。
土台部分が六葉で,中央の棒が樽の口で,その根元の少し出っ張っている菊の花のような部分は菊座と呼ばれている。
この六葉は日本独自の装飾らしいんだな。
今回の懸魚にはないけど,前回の懸魚には破風に沿って飾りの鰭(ひれ)が取り付けられている。
大抵の場合,鰭は雲や波か植物がモチーフになっていて,懸魚をより装飾的に見せている。
「かえる」はかぶらタイプには鰭がついてると思っていたけど,どうやら鰭がついていないものも僅かだけどあるそうだ。
ただ,こちらの懸魚が,元々は鰭付きだったのかは不明。
熱い懸魚トークで「かえる」のごはん時間がどんどん遅れていくぞ・・・・・・(;´Д`)
自業自得か?
なんだかんだ言って,ずっと上り坂だ。
でも,思ったほどキツクない。
冬の間,だらだらと過ごして体を絞ってなかったから,息切れが心配だったんだ。
どっちかって言うと,由岐神社辺りの方が辛かった気がする。
貞明皇后御休息所蹟。
1924年に鞍馬寺にお出ましになられた時に九十九参道途中でで休憩されたそうだ。
う~ん,wikiによれば40歳の時かな?
当時の高貴な身分の方って,ハイキングとかしてたんだろうか?
若い頃ならともかく,夏だったら辛いんじゃないかな。
って,「かえる」は4月だけど,休み休みだらだら歩いてるから,人の事は言えないけど。
因みに今は22番のシールの地点にいる。
結構,登って来ただろ?
今回で金堂まで登り切れると思ったけど,次回に持ち越しになってしまった。
まだまだ坂道は続く。
という訳で,ハラガヘッテ急いでるから,ちょこっとだけおやつ。
Pain de Singe(パン ド サンジュ)のとびばこパンのミニバージョン。
今回は3段とびばこ(あんこ入り)だ。
流石に3つに切り分ける程度なら,酷い事にはならないぞっ♪
では,いっただきま~す♪
程よい甘さのあんこと目の詰まった感じのパンの相性がぴったりだ。
もっきゅもっきゅと,噛みしめながら味わっていただく。
つぶあんの皮もしっかりと感じられて,大満足。
個人的には,切り分けにくいとびばこパンよりも,こっちの3段タイプのミニの方がおすすめかなぁ?
だって,ぎっしりとあんこ入りだぞっ♪
まぁ,その分重くはなるけど,手の平に乗るサイズだし,意外と1個食べれちゃいそうだ。
という訳で,とびばこパンミニ(3段)に興味のあるみんなは,是非もお試ししてくれよなっ♪
粒あんをおすすめするぞっ