旧blog ぼくと「かえる」日記(引越し先)
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「かえる」の「こじろう」の見たこと,聞いたこと,感じたこと。
ようこそぼくと「かえる」日記2へ!
今までも読んでくれてたみんなも,偶然発見したみんなも,遊びに来てくれてありがとう
なんだかんだで「かえる」日記も2冊目に突入したんだなっ♪
突然の2度のアメリカ赴任,そして帰国後の生活はドラマのように大どんでん返し
やっと状況が落ち着いたかと思いきや,急な転勤辞令で落ち着かない事この上ない
人生いつ何が起きるか分からない
そんなジェットストリームな日々に振り回されっぱなしな「かえる」が,だらだら綴る日記だ。
お暇な時にでも,覗いてみて欲しいんだなっ♪
風は龍穴から吹き上がる。~貴船神社参拝記念 その4。~ [ぷらぷらっと京都]
日曜美術館を見始めたのがいけなかった。
かこさとしさんの絵本と言えば,「かえる」のお気に入りは「からすのパンやさん」だ。
ハラヘッタ・・・(´・ω・)
ええと,気を取り直して,ぷらぷらっと京都を歩いてみようか。
今日は貴船神社のお話の続きだぞっ♪
小振りな鳥居がある。
参道にかかる「おもひかは橋」。
水の音が聞こえないけど,と身を乗り出してみた。
・・・これが思ひ川?
ええっと,変わった名前の川だけど,どんな由来があるんだろうな?
なんでも,昔はこの奥にある奥宮が本社だったそうだ。
で,参拝にやって来た人々は,この谷川で身を清めたんだって。
そんな訳で,この川は禊(みそぎ)の川または物忌の川(ものいみ)だったそうだ。
禊って言うのは,神事を行う前に身体の汚れを水で洗い清める儀礼の事。
物忌って言うのは,一定の期間,不浄を避け家に籠る事だな。
この避けるべき不浄って言うのは,生モノを食べないと言う比較的簡単なものから始まって,人と会うのを控えるや公式行事であっても参加しないというある意味理不尽な感じのするものもある。
そういった用途に使われていた(御)物忌川((お)ものいみ)が,和泉式部の伝説と重なり「思ひ川」へと転じたようだ。
物忌川と言えば,上賀茂神社の東側にそんな名前の川があったような気がする。
多分,同じ用途に使われていた川なんだろうな。
立札には,奥宮を詠んだ高浜虚子の句が書かれていた。
「遅桜 なほもたづねて 奥宮」
「思ひ川 渡ればまたも 花の雨」
貴船石っぽい,紫みがかったとっても大きな岩がある。
脇に立っていた看板には,貴船名石「つつみヶ岩」とあった。
高さは4.5m,胴回りは9m,重さは43t以上もある水成岩だそうだ。
水成岩って言うのは,堆積岩の一種なんだな。
砂利や粘土が海底などに沈んで,固められたものを指すんだ。
で,水底に静かに積もった砂などが固まっていく為,その縞模様のような層が見られる。
鞍馬山は,2億6千年前に海底火山の隆起によってできた山だと言われているから,そういった岩があってもおかしくはないな。
枕状溶岩が確認できるとあったけど,う~ん,なんとなくそんなような?
枕状溶岩が確認できるとあったけど,う~ん,なんとなくそんなような?
この枕状溶岩って言うのは,海底火山の溶岩が海水に触れて急速に冷えた時にできるんだ。
海の中へ流れ出た溶岩の表面が冷えても,中にはまだ熱い溶岩が溜まってる。
だから,表面は冷えて膜状になっても,マグマはそれを割って噴き出す。
そして,その噴き出したマグマは冷えて固まる。
すると,別の箇所からマグマが噴き出す。
これを繰り返すうちに,枕を積み重ねたような状態が出来上がるんだな。
これを枕状溶岩と呼ぶんだ。
ところで,この写真では分からないと思うけど,所々光ってる箇所がある。
一体全体,何が混ざってるんだろう?と興味を惹かれ近寄ってみた。
・・・Σ(゚Д゚;)
なんと大量の一円玉がくぼみに嵌め込まれていたんだ。
偏見な訳じゃないけど,これを始めたのは中国人っぽい気がする。
と言うか,中国系のカップルが一円玉を押し込んでるのを見てしまったんだな。
奥宮の神門。
その脇には連理木が生えている。
連理木って言うのは,2本の木(枝)が結合したもののことを指す。
地元の神社にも生えてるから馴染みがあるんだけど,面白いよなぁ。
いや,当の本木たちにとっては大変な事かもしれない。
素人考えだけど癒合するってことは,なんらかの原因で樹皮に傷が入って,それを塞ごうとしたら,くっついちゃった!って可能性が高い。
みんなも,枝をはらった跡が盛り上がってるのを見た事があるだろ?
かさぶたのようなもので,カルスって言うんだ。
で,カルスが外側から内側へと巻き込むように,もこもこと成長していく。
そういう過程で,隣り合わせた木を巻き込んだ可能性が高いと思うんだ。
夫婦の円満や縁結びのご利益がある御神木だそうだ。
因みに,ここの連理木は杉と楓だ。
明らかに木肌が違うし,上の方を見上げると葉の繁り方も違うのが分かると思う。
「在天願作比翼鳥 在地願爲連理枝」
(天に在っては 願はくは 比翼の鳥と作(な)らん)
(天に在っては 願はくは 比翼の鳥と作(な)らん)
(地に在りては 願はくは 連理の枝と為(な)らんと)
「長恨歌」に出てくる比翼の鳥と連理の枝のように,夫婦和合の象徴とされる連理木。
正直,種類の違う木同士が結合してると成長に影響とかないんだろうか,って気になる。
拝殿の写真を撮ろうとしたらボケた。
なんでだろうなー。
特定の場所を撮ろうとすると,タブレットでもコンデジでもピントが合わないことがある。
なんでだろうなー。
特定の場所を撮ろうとすると,タブレットでもコンデジでもピントが合わないことがある。
奥に本殿があるからかなぁ?
知り合いから「神様を正面から写してはいけないよ」と言われたことがあってだな。
今にして思えば,真正面だったかも・・・と反省だ。
オカルトだぁ~(*ノωノ)って笑うかもしれないけど,ここの本殿の下には龍穴があるそうなんだ。
ここ奥宮の龍穴は,大和の室生龍穴,岡山にあるとされる龍穴と合わせて日本三大龍穴と呼ばれてるんだって。
龍穴って言うのは,陰陽道とか風水に出てくるから知ってる人も多いと思うけど,大地から気が噴き出す場所のことだ。
で,龍穴って言うのは全国に沢山あるんだけど,多くの場所には神社などが建てられている。
そういう事実を知ると,なんとなく何かありそうな気がしてこないか?
で,これが実際,事件が起きているんだな。
そういう事実を知ると,なんとなく何かありそうな気がしてこないか?
で,これが実際,事件が起きているんだな。
時は遡って江戸時代,将軍家茂の治世。
奥宮の修理をしていた大工が龍穴にノミを落としてしまったんだ。
すると空が突然真っ暗になり,突風と共にノミが穴から飛び出した。
その後暫くして,その大工は亡くなったそうだ。
そんなお話もある為か,今でも社殿の修理を行う時に龍穴を見たり,跨いだりしないように布をかけるらしいぞ。
・・・・・・ここで疑問。
跨ぐのが駄目ってことは,建物の屋根に登ったらアウトってことだろ?
それじゃあ困るよなぁ。
だから,勿論,解決策がある。
そのヒントになるのがこの下の写真だ。
権地(ごんち)。
平成23年から24年にかけて,奥宮の解体修理が行われたんだな。
布をかければ龍穴を見ないようにすることはできる。
でも,跨がないようにするにはどうするのかって言うと,本殿を移動させちゃったんだな。
みんなは曳家とか家曳きっていう言葉を聞いたことがあるかな?
これは,建築物をそのままの形でまるっと移動させる工法のことなんだ。
で,この時もこの手法が用いられたんだ。
本殿を遷すにあたって遷座の儀式を行い,次に権地へと曳き遷す。
これは附曳神事(ふびきしんじ)と呼ばれるもので,前回は明治9年に行われたそうだ。
つまり約150年ぶりの事。
この神事についての史料が少なかった為,色々と大変だったみたいだな。
忘れるところだったけど,権地って言うのは社殿を工事する際に仮の社殿を建てる場所のことだ。
さて,申し訳ないけどハラガヘッテキタので,ここで一旦終了だ。
こんなところでお話を切った為に来週のお話がすごく短くなる筈だ。
なので,おやつは来週Upするつもりだ。