さぁ,今年もぷらぷらっと京都を散歩しよう♪

とは言っても,去年の話の続きだけど。


多分・・・「かえる」が何処に居たのかを忘れちゃってるみんなもいるだろ?

という訳で,まずはこれ。

  

       

            圓光寺と書かれた巨大な御朱印?


そう,今は圓光寺さんに居るんだな。

そしてこの巨大な御朱印のようなものだけど,なんと,苔でできてるんだなっ♪

      

  

        ほら,近くに寄ってみると,モフモフしてるのが分かるだろ?

その名も「モシュ印」。

苔=moss(モス)と御朱印を掛け合わせた造語だそうだ。

これは,JR東海の「そうだ 京都、行こう。」2018年初秋キャンペーンで作成されたものなんだって。

大きさは約1.5mx1mと大きな作品だ。

圓光寺さん以外にも4つのお寺で期間限定で公開されていたんだって。


他にもこんなものがあった。

  

               コケ寺リウム

各お寺の特徴的な建物のミニチュアとお庭をを苔を使って再現しているそうだ。

一番右の奔龍庭のが,一番分かり易いかな?

ぐるぐると渦巻く雲海だけでなく,龍の頭や稲妻も見られて,とっても面白い。



では,お庭の方を回ろうか。

  

  

              

           紅葉シーズン終わりかけとは思えない美しさだ。


  

                   ん?あの石ってひょっとして牛くん?


  

              目が覚めるような美しさ。


みんな紅葉に気を取られているけど,緑だって負けてない。

折角だから上ばかり見ていないで,足元の苔にも注目して欲しいんだなっ♪



境内を散策する。

  

 

鐘楼の横を通り,そばにある階段を上る。


  

               望久太郎って誰だ?

「坂道をのぼり来りて月読の 光あまねきに打たれ佇つかも」


後で調べたら,国崎 望久太郎(くにさき もくたろう)の歌碑だった。



まだまだ上に登れるようだ。


何かあるな?

  

             徳川家康のお墓があった。


静岡県民のみんなから「家康のお墓は久能山だろ!?」と言われそうだな。

え,日光東照宮?

一般的には,家康の墓=日光と言われているけど,本当のことはよく分かっていないんだ。

元々,東照宮は久能山にあって,家光の時代に日光東照宮の大規模改修が行われた。

ここまでは,はっきりしている。


で,問題はここから。

家康は遺言の中で,遺骸を久能山に収め,一周忌後に分霊*するように。

そして,日光に小さな堂を建て分祀**先とするように,と指示しているそうなんだな。

*  分霊・・・御祭神の霊を分けて,他の神社へ祀ること。

**分祀・・・他の神社から,その神の分霊を新たに迎えた神社のこと。

そう,この遺言では「遺骸を日光に移動せよ」とは指定していない。

う~ん,気になるな。

実際,久能山と日光で覇権争いっぽい事も起きてるようだ。


だけど,数年前に徳川宗家現当主が久能山へお墓参りをしたという話を聞いたことがあるんだ。

という事は,やっぱり久能山に軍配が上がったという事かな?


人のお墓に想いを馳せるのも変かもしれないけど,なんだかロマンを感じないか?



で,話は戻るけど,ここも家康のお墓と伝えられている。

実際,小振りながらも東照宮があって・・・但し,埋葬されているのは「歯」だけだ。

は?歯だけ・・・!?

ちょっとびっくりしちゃうけど,例え歯だけでも家康の物であればお墓と言えるんだろうな。


でも,歯だけ外して運んできたのって,ちょっぴりホラーだと思う・・・( ゚Д゚)



  

      

この辺りが圓光寺さんで一番高い場所のようだ。

雨月物語で有名な上田秋成も,よくここの東照宮を訪れていたんだって。

「かえる」は「浅茅が宿」が特に好きだな。

怖いの嫌いなのに,怖いもの見たさで読んだ事がある。

だって,怪奇小説なのに,とっても美しいお話で。

惹き込まれてしまったと言うか,うん,若さゆえの勢いだろうな。

・・・いや,今でも岡本綺堂の本を(捕物帳ではない)読んでるあたり,実はホラー系が好きなのかもしれない (-ω-`;)ゞ


  

               家康のお墓前からの眺め。

家康もきっといい眺めと・・・あ,歯しかなかったんだっけ(;´Д`)


圓光寺さんまでも坂道で,更に境内の丘を登るからか,人は少なめだったな。

でも,この素晴らしい景色を見ることができたんだし,ここまで来た甲斐があったってものだ。


  


美しい紅葉と京都市内の景色を満喫したので,再び庭の方へ戻ることにした。       

 

   

       この孟宗竹の竹林は,かの丸山応挙のお気に入りだったそうだ。


  


雨竹風竹図屏風は,ここの竹林を描いた物なんだって。


応挙と言えば「わんこ」の絵の人だな。

え・・・足のない幽霊 #59105; の方が有名だって?

さっき出てきた上田秋成も「京に応挙が現れて,京中が絵と言えば写生という事になってしまった」と言ってるくらいだし,「わんこ」の方がぴったりくるんだけどなぁ~。

だって,幽霊は写生できないだろ。

たぶん・・・描いたことないからよく知らないけど(´・ω・)


しかし,美しい紅葉で心の洗濯をする筈が,ホラーに汚染されていくのは何故だろう?


      

               やっぱり調子の悪いコンデジ。


   

             池の水に紅葉が写りこんでいる。

洛北最古の泉水(人工的に作った池)である栖龍池(せいりゅうち)だ。

龍の棲家の名の通り,この辺りはとても静かで,水面は鏡のように光っている。

お庭に居る人たちは紅葉の方に注目している為か,ちょっと不安になるくらい人が来ない。

しかし・・・竹林と池の水を挟んだだけで,これだけ静かになるんだなぁ。


余りの静かさの為か,ホラー風味に毒されたのか。

ふと,「本当に龍が住んでいたりして」と妙な事を思った。



  

                本堂の書院からの眺め。

  

                  十牛の庭


写真の中に人が写っていないだろ?

でも,何もこのタイミングを狙ったわけじゃないんだ。


じゃあどうしてかって言うと,みんな書院の壁側に張り付くようにして並んで座っているからだ。

一人立つと,そのポジションへ移動する人がいたりして,部屋の入口で立っていた人が空いた場所へ座る。

そんなことを繰り返していたので,当然,毛氈上には人がいない。

こんな所でも,日本人ならではの気遣いが発動している。

多分,誰かが言い出したことではないんだろう。

外国人が見たら驚くか,妙に思うんじゃなかろうか?と思ったけど,隣に座って来た体格のいいおじさんも順番待ちをしていたので,みんな何となく察しているのかもしれない。


   


という訳で,圓光寺さんの紅葉のお話はこれまでだ。



では,おやつのお話に移ろうか。

     詩仙堂さんの小有洞(しょうゆうどう=入口の門)からすぐにある双鳩堂 詩仙堂茶店さん。


双鳩堂さんは,修学院駅そばにある明治13年創業の餅屋さんで,鳩餅とでっち羊かんが有名だ。

残念ながら,詩仙堂茶店にはまだ当日分の鳩餅が届いていなかった。

で,代わりに選んだのがこれ。

   

                  鳩かきもち


ちゃんと「詩仙堂」の名前も書かれているので,詩仙堂さんに行った記念にもなるぞっ♪


   

                 鳩の形のかきもちだ。


   

            ぷっくりしていて美味しそうな色をしている。


いっただきま~す♪

   

 

ちょっと硬めだから,りんごを齧って血が出る人には無理かも。

それに,可愛い形をしているので,食べるのが勿体ない!って人にも,おすすめしないぞ。

いくら可愛くても,食べてあげないのは勿体ないだろ?

まぁ,インスタ映えはしそうだけど。


丸ごと一羽を口に放り込む。

口の中にお醤油の味がじゅわわと広がっていく。

飾り気のない,シンプルな味だ。

なんだか懐かしいな味がするなぁ~。

不思議だけど,子供の頃に食べたおかきに似ているような気がするんだ。

・・・のすたるじぃ?


うん,最近のお菓子は見た目が華やかなものも多いけど,こういう簡素なものもいいと思うんだ。

そんなことを思いながら,冷めたお茶を淹れ直した「かえる」だった。