今日は鷹峰散策の続きだ。


前回は,吉野太夫所縁の常照寺を訪ねたところまでお話したんだな。


          



という訳で,常照寺の西にある有名なお寺にやって来たぞ。

このお寺,とあるコマーシャルで紹介されたことで話題になった場所でもあるんだ。

鷹峰でコマーシャル,これだけで「ピン!」ときた人も多いんじゃないかな?


という訳で,次のお寺に向かおうか・・・・・・。


         

                やって来たのは,曹洞宗のお寺,源光庵


正式名称は,鷹峰山寶樹林源光庵と号するそうだ。

大徳寺の徹翁(てつとう)国師が開いたんだって。

この位置での写真を撮る時は,階段があってすぐ道路に面してるので気を付けて欲しいんだな。


(山のふもとだから平気平気~と思うかもしれないけど,道幅の割には交通量があると思うんだ。)



   

          まっすぐな参道の石畳の模様に導かれるように進む。




前回の常照寺は日蓮宗のお寺だったけど,やっぱり宗派で境内の雰囲気って変わるよなぁ~。





   

             どこか不思議な感じのする山門。


よく分からない違和感を覚えながらも思う。

「ここ」だけで一つの世界が成立するような雰囲気を持っている,そんな素敵な空間だなぁ~。


ちょっと見えにくいけど,山門の扁額には復古禅林と書かれている。

また山門の土台(?)には,さらさらとした赤土が盛られていた。




   

                   杜鵑かな?


10月末だったけど,庭には杜鵑(ホトトギス)が咲いていた。

お盆頃から咲き始め,秋まで楽しめる可憐な山野草だ。

花に鳥の杜鵑に似た斑点模様があるから杜鵑と呼ばれるらしい。

日陰でひっそりと,しかし長い間咲く花の花言葉は「永遠にあなたのもの」「秘めた意思」。



・・・・・・しかし,この違和感ってなんだろうなぁ?


   

            本堂と少し色付き始めた楓(?)の巨木。



ぁぁあ,分かったっっ!!                            

よく分からない違和感を感じたのには,確かな理由があったんだな。

     


さっき「大徳寺の国師が開山した」って言っただろ?

大徳寺は臨済宗の古刹だ。

でも,ここは曹洞宗のお寺なんだな。


そう,元々,源光庵が1346年に開山された臨済宗の寺院だったのは確かで・・・。

頂いたリーフレットによれば,元禄年間に加賀の大乗寺の卍山道白(まんざんどうはく)禅師が住持(住職になった)したことにより曹洞宗のお寺として復興されたようなんだな。



   

            ↑  魚梆(ぎょほう) と  雲板 ↑。


魚梆(別名:開梆 かいばん)を見ると叩きたくなる衝動に駆られるのは「かえる」だけじゃないと思うんだけど,どうだろうか?


お寺でよく見かけるこの木製の魚雲板は,時刻を知らせる為の大切なアイテムだ。

聞いた話では,魚は瞼が無く目を瞑らないので,僧侶たちに怠けて居眠りしないように~という戒めの意味もあって魚の形をしているそうだ。


そして,少し魚梆の口元が暗くなってしまっているけど,実は小さな玉を咥えている。

昔は宝玉#59130;かと思っていたけど,どうもそれは子供ならではの勘違いだったようだ。

宝どころか,毒を吐き出そうとしているところだったんだな・・・#59122;

この毒とは,三毒(貪欲なこと,自己中な怒り,迷って真理を悟れないこと)という煩悩だ。


つまり,子供心に「叩きたい!」と思ったのはあながち間違いではなかったってことだな。

だって,叩いてあげれば,その衝撃で毒が口から出るだろ?

まぁ,本当のことを白状すると,叩いたら宝玉が落ちるんじゃないか?って期待してたんだけどな。

玉を拾わなくて(落ちてこないけど)よかったなぁ~と,今更ながら思ったぞっ♪



そして,お待ちかねの本堂の中へ・・・・・・。


   

           そこには,二つの異なる世界が広がっていた。



   

                四角いのは,迷いの窓。   


四角い窓は人の生涯であり,上下四つの角は「四苦八苦」の「生・老・病・死」と「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」「愛別離苦」を表しているそうだ。


変換できるけど,ちょっと読むのも解釈も難しいな。

という訳で・・・

「怨憎会苦(おんぞうえく)」とは,憎しみ怨んでいる人と会いたくないのに会わねばならない苦しみ。

「求不得苦(ぐふとくく)」とは,欲しいものが手に入らないと言う,自分で作り出す欲求不満的な苦しみ。

「五陰盛苦(ごおんじょうく)」とは,人を取り囲む精神的・肉体的な悩み(どうにもならない病気や死)がもたらす苦しみ。

「愛別離苦(あいべつりく)」とは,愛するものと死に別れても生きねばならない苦しみ。

(書いたものの解釈が違うぞ!と言われそうで怖いな・・・。)



   

                丸いのは,悟りの窓


円は仏教では悟り。

そんな話を前回の常照寺の時に書いたと思う。


リーフレットには『円型に「禅と円通」の心を表わし,円は大宇宙を表現する』と書かれている。

円通と言うのは,仏教の教えが隅々まで行き渡っている状態の事だって。


なので,この窓を見る時は「迷いの窓」⇒「悟りの窓」の順に見るといいそうだぞっ♪




という訳で,四角い窓から青楓の景色を眺める。

・・・・・・鮮やかな緑が目に眩しいな#59130;



ここでひねくれものの「かえる」は,ふと思う。


四苦八苦とは言うけれど,角が無かったら止まれないじゃないかっ!


誰かに出会っても,美味しそうなものを見つけても,目の前にクマが居たとしても止まれない。

ただひたすらに,永遠にころころころころと転がり続ける自分を想像する。

それでも動じない姿こそが真理かもしれないけど,やっぱり怖いな・・・(;´・ω・)

うん・・・

煩悩「かえる」には,ちょっと難しいようだ。



諦めて,円い窓の前に移動する。

こちらも青楓が綺麗だけど,座る位置によっては白壁が見えてしまうので注意が必要だ。



まずは,広大な宇宙をイメージしてみる。

・・・・・・・・・。

行ったことないからよく分からないや (・ω<)テヘッ・・・


う~ん,丸い窓も嫌いじゃないけど。

スパ~ン!と四角く切り取った空間の,不器用にも思える潔さが気に入ってしまった。


まぁ,その時の気分によるんだろうけどなぁ~。




   

        で,さっき話したコマーシャルのポスター 「そうだ 京都,いこう」。


よく考えたら,これってJR東海のコマーシャルだった。

ってことは,全国区じゃなかったかもしれないな・・・。

まぁ,ともかく,紅葉のベストシーズンになるとこんな感じに見えるんだぞっ♪ っていう見本だ。

   



   

  この時は参拝客が少なくて,30分くらいの滞在中に見かけたのはたった7人だった。



参拝客たちは,静かな本堂でみんな思い思いの過ごし方をしていた。

忙しなく見て写真を撮って去っていった中国人カップルに,落ち着いた感じのご夫婦とインスタに写真を上げていた御朱印ガールたち。


ぼっちの「かえる」は悠々自適だ。

ご本尊の前で緊張感なく緩い口元のままに座ったり,お日様が差し込む庭をぼけ~っと眺めたり,目を閉じて焚かれているお香(堀川かなぁ?)の流れを感じたり,天井を凝視しして探し物をしたりと一通りの事をした後で,再び二つの窓の前に座った。




   

        丸には丸の,四角には四角でいる意味があると思うんだ。


悟りを開いていないから分からないだけかもしれないけど。

でも,完成された人生なんて詰まらないじゃないか・・・と開き直る「かえる」だった。




という訳で,鷹峰の源光庵迷いの窓悟りの窓に興味のあるみんなは,紅葉シーズンを外して出掛けることをお勧めするぞっ♪

混雑してる時だとゆっくりできないし,写真撮影ができないかもしれないので注意してくれよっ♪


   

※追記が長くなり過ぎたので,申し訳ないけど,今日は甘党話はパスで (´Д⊂ヽ



追記はホラーなものが平気な人だけ読んで欲しいんだな・・・。


ホラーと言ってもPG12くらいだけど,嫌な気分になる人もいると思うので。





   

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