疲れた・・・。

どうして急ぎの用事って急にわいてくるんだろう?


まぁ,お陰で,松坂屋美術館のミュシャ展を見てこれたけどな。

だけどデパート内が大混雑過ぎて,ケーキもお饅頭も勿論のこと,お弁当さえも買わずに帰って来る羽目になった。

・・・だって,ケーキ買うのに30人以上並んでるお店とかあるんだぞ。

予約しないのが悪いと言われれば,それまでだけど,予約したって受け取るのに並んでるし・・・・・・。


それはそうとして,ソネットblogの調子がおかしい気がするのは「かえる」だけだろうか?

時間もおしているし,ちょっと変なので,申し訳ないけどおやつ話は無しでお願いするぞっ♪



   

    季節はあっという間に過ぎてしまったけど,変わらないものってあるのかな?



   

               光悦寺の入口。

慌てて写真を撮ったら,案の定ブレた。

しかも,フレアとゴーストまで発生して凄い事になってしまった。




今回やって来たのは,源光庵の向かい側にある光悦寺だ。

   

         青紅葉が暖かな日差しを浴びて輝いている。


山門脇の石碑には,南無妙法蓮華教の文字が刻まれている。

つまりは,ここも日蓮宗のお寺って事だ。

正式には,大虚山 光悦寺と呼ばれているそうだ。



   

             屋根が茅葺の鐘楼堂は珍しいと思う。



光悦寺と言う名前を聞いて,ピンときた人はいるかな?

前回までのお話を読んでくれた人か,もしくは,歴史や日本の美術に詳しい人かもしれないな。

そう,光悦寺の光悦とは,本阿弥光悦から取られたものなんだな。


   

       真っ赤より,赤や黄色に染まり始めたくらいの方が好きだなぁ~。


徳川家康からこの辺りの土地を与えられた光悦は一族を引き連れ,様々な工芸に携わる職人などと共に移り住んだと言われている。

そして,いつしかこの辺りは芸術家村(光悦村)のようになっていったそうだ。


家康から拝領したというこの土地だけど,当時は随分とトンデモナイ場所だったようだぞ。

なにしろ,追剥や辻斬りが出没するような土地柄だったと記録にあるくらいだから。

家康から厄介払いをされたのか,はてまた自分の目の届く場所に置いておきたかったからなのかは分からない。

そして当の本人は命令に従っただけなのか,それとも新天地での生活を夢見ていたのか?


分かっているのはただ一つ。

引っ越しするのが大層大変な事だっただろうということだけだ。



この光悦寺には7つの茶室があるそうなんだ。

残念なことにお掃除中で障子が外されていたり,雨戸が締め切ってあったりで,あまりいい写真は撮れなかった。


   

                 大虚庵。

  

   

                 了寂軒。

   


そして,このお庭の中で多分一番有名なのが,この景色だと思う。

   

             大虚庵の光悦垣(臥牛垣)。


   


今ではそんなに目新しい感じのしないこの垣根は,ここが発祥の地のようだ。

当時としてはかなり斬新なものだったかもしれないな。



   

               ギョウ秀軒*前からの眺め ↑ ↓


環境依存文字の為か,ソネットblogがエラーになるみたいだ

*ギョウの字は「堯」の「儿(ひとあし)」部分の右を伸ばして上に「羽」。


   


   

                本阿弥庵。



   

          まるで絨毯のようにびっしりと生えた苔。



   

           「光悦のお墓」の周辺も苔生していた。


墓石自体はお手入れされているようだから,態とそのままにしてるのかな?


お墓の話を持ち出して不謹慎だけど,この光悦寺は苔好きにもおすすめできると思うんだ。


   


        

 

だらだら続いた鷹ヶ峰のお話はこれでおしまいだ。

という訳で,光悦寺に興味のあるみんなは,是非とも訪ねてみて欲しいんだなっ♪

青紅葉じゃない季節にでかけたら,全く違う景色が見られるかもしれないな。