実は,今,ちょっと忙しい。

NC赴任時の友人がこちらへ遊びに来るんだなっ♪

宿の手配とかは終わってるんだけど,どこで何をするかがまだ決まっていないんだ。

それで,ここ連日メールでやり取りしてるんだけど,まだ決まってなくてだな。

という訳で,さらっと流すことになると思うんだ。


それはそうと,葵祭に行ってきたんだ。

鳥用カメラじゃなくてタブレットなので,枚数はあるけど,正直言っていい写真は撮れなかった (´・ω・)

でも,折角なので斎宮代のだけUpしようかなと思うんだ。

鞍馬の話のキリが付いたら,他の写真も紹介するかもしれないけど・・・。


      


   

今日の分が鞍馬山のクライマックスになるんじゃないかな?

「かえる」的には,だけどな。


   

      

                福寿星神の祠


福寿星神は,七福神の福禄寿や寿老人として知られてる道教の神様だ。

道教って言うのは中国の三教(残りは儒教と仏教)の一つで,一番分かり易いのが神仙思想だな。

神仙思想って言うのは,仙術によって不老長寿の仙人になることを目指すものだ。

前にも書いたかもしれないけど,ある年齢以上の人なら「キョンシー」の方が分かり易いかな?

この思想があったお陰で,中国の医学は発達したと言われている。


みんなは「キングダム」っていう漫画を知ってるかな?

秦の始皇帝とか出てくるんだけど,その始皇帝は不老不死の薬を求めていたのは有名な話だろ?

え,横山光輝の項羽と劉邦なら読んだって?まぁ,そっちでもいいや。

で,不老不死の薬を作り出すのは現代医学でも叶わないけど。

でも,そんな昔から為政者は不老不死を求めた。

それが結果として,医学の発展に貢献したってことなんだろうな。



もう一つの思想は,老荘思想。

春秋戦国の楚の思想家である老子(太上老君)と戦国末期の宋の思想家である荘子の思想の事だな。

どちらも「あるがままを受け入れ自然に任せると,生きやすくなるよ」ってお話をしている。

自然の成り行きに任せるって言っても,怠けていいって言ってる訳じゃないんだけどな。

2人の違いと言えば,老子は処世術的な知恵も説いているけど,荘子は自分の内面を見つめる系っていうのかな。

まぁ,似てる部分も多いから二人まとめて老荘思想って呼ばれてる。


で,何を話していたか忘れちゃったじゃないか!

あぁそうだ,福禄寿と寿老人は道教の神様である南極老人が元になったとされているんだ。

この南極老人とはりゅうこつ座のカノープスの事を指し,平和な時にしか見れないとされていたそうだ。

しかも,この南極老人星を見た者は長生きができると言い伝えられているんだな。

じゃあ今夜探そうっ!って思ったみんなに残念なお知らせがある。

地平線ぎりぎりにしか出てこないそうので,本州では見つけることは至難の業らしいんだ。


そしてこの南極星は,厳密に言えば北極星とはちょっとばかり違う存在だ。

実は,今の南極星(北極星的な)と呼ばれる星はとっても暗い星だ。

でも,気の遠~くなるような未来にはカノープスが南極星に変わるらしいので,その時には名実ともに南極星になるんだろうな。

何しろシリウスに次ぐ明るさの一等星だからな。

とは言っても,そんな未来の事を誰も確認できないんだけど・・・。


今日も平常運転のようで,ハラガヘッテきた (´・ω・)



以前も紹介した気がするけど,本殿金堂へ続く石段だ。

      

              ここまで来たら,あとちょっとだ。


      

                 巽の弁財天堂

雑念が無い人は水琴窟の音が聞こえるそうだけど・・・。

残念ながら,煩悩「かえる」には聞こえず。

時々思うんだけど,どうも弁天様と相性がなぁ~ってな。


気を取り直して進もう。

前回も紹介した転法輪堂・洗心亭だ。

      

                鞍馬石の手水鉢。


あれ,ひょっとしたら・・・・・・ 

      

                やっぱり雪#58945;が残ってた!


      

          ボケボケの一日乗車券で4月4日の残雪と証明してみる。


                 

        見ていたらトルネードポテトが食べたくなってきた。



      

             本殿金堂前にも雪が残ってる。

      

      

      杉が多いのに,マスク無しで歩けるのはアスファルトじゃないからか?



      

             では,奥の院参道へレッツゴ~♪


      

             与謝野晶子と寛(鉄幹)の歌碑

位置が逆だけど,山門で貰ったマップにはそう書いてあるので,そのままで表記した。


      

   「何となく君にまたるるここちしていでし花野の夕月夜かな」 与謝野晶子     


「かえる」は,何となくこの先にある木の根道に呼ばれた気がして,新緑の美しい朝っぱらから,花粉の舞うこんな杉山へやってきてしまったぞ。

ハラがヘッテルので,やっつけ仕事的に与謝野晶子を真似てみたけど,絶対的な何かが足りないな。


                  

   「遮那王が背比べ石を山に見てわがこころなほ明日を待つかな」与謝野寛(鉄幹)   

  

因みに与謝野晶子・鉄幹夫妻はは初代鞍馬弘教管長の歌のお師匠さんだったんだって。

      

           移築された晶子の書斎冬柏亭


      

           冬柏は二人が刊行した雑誌の名前だ。


      

    晶子の50歳のお祝いに,とお弟子さんたちから贈られた書斎なんだって。



さて,ここからが本番だ。


      

               息つぎの水

牛若丸が天狗との修行に向かう際に飲んだとされる湧き水らしい。

水は出てなかったけどな。



再び山を登り始める。      

     

                暫くは石段が続く。 


      

              屏風坂の地蔵堂


どうやら今登っているのが屏風坂と呼ばれているようだ。


底から暫く進むと,何かのポイントを発見した。

      

               源義経公背比石

      

     義経が16歳の時に,名残惜しみつつ背を比べた石だそうだ。


16歳・・・坊主になりたくないって言って奥州の秀衡の元へ出奔したんじゃなかったっけ?

本当に名残惜しんだのかどうか分からないけど,それでも故郷みたいなものだったろうし,ちょっとは寂しかったのかもしれないな。



      

                 やっと到着したようだ。


      

                木の根道


      

       ここへ来るのに年越し(台風のせいで)って訳なんだな。


ごめん,ちょっともう色々と限界なので,今日はここまで。

鞍馬のお話は,もうちょっとだけ続くっ♪