今日も三室戸寺をぷらぷらっと散歩しよう。



という訳で,前回の続き。

  

           宝勝牛


「牛の口の中にある玉をさわると勝運がつくと伝えられています」

つまりは,口の中へ手を入れろという事だな。

真実の口みたいで,ちょっとドキドキするな。


しかし,腹についている,覗いてくださいと言わんばかりの穴が気になるな。

・・・うしっぽい?

牛の中にちっさい牛がいる。


   

牛と言えば天神さんを思い浮かべることが多いけど,この三室戸寺にも牛に関わるお話があるんだって。

その昔,とある百姓の夫婦が牛を飼っていたんだそうだ。

その牛はお世辞にも立派とは言えず,農作業に連れ出すこともできなかったんだって。

だけど夫婦はそんな牛を世話して,毎月の観音詣に行く際には牛も寺へ連れて行き,境内の草を食べさせたそうだ。

するとある日,牛が謎の丸い物体を吐き出した。

それ以降,その牛は元気になり,夫婦は観音様がお助け下さったのだと喜んだ。

2人はこれを「牛玉(ごおう)」と呼び,大切に取っておいたんだって。

   

これでめでたしめでたし,と思ったら話には続きがあった。


ある日の事,強欲な事で有名な男がやって来て,自分の牛と闘わせようと提案してきた。

百姓は断ったものの,何故か夢に牛が出てきて,戦わせてほしいと願ったそうだ。

何しろ観音様に救われた牛だ,只者じゃない。

そして牛は見事に優勝,彼は賞金百貫を手に入れ,それを元手に牛の仲買を始めたんだって。

後に仏門に入った彼は仏師に牛の木像を作ってもらい,その体内に「牛玉」を収めた。

そしてその牛像は三室戸寺へ奉納されたんだとさ。


で,さっき覗き穴から見えたのは,この牛の木像らしい。

残念ながら写真は上手く撮れなかったので,興味のあるみんなは是非とも覗いてみて欲しいんだなっ♪




あやうく忘れるところだったけど,牛くんの口の中を覗き込む。

ひょっとして,「牛玉」が吐き出されるイメージなのか・・・(;´Д`)

   

     何となく罪悪感を感じるのは,牛タンを思い浮かべたから?


牛くんの下顎のつるんとした様子からして,結構チャレンジャーが多いんじゃないかな。

という訳で,何のためらいもなく口へ手を突っ込む。

まずは片手を。

そして,もう片方の手も突っ込む。

両手でしっかりと玉を掴み,気合を入れる。

これくらい触っておけば,少しくらいおこぼれが貰えるだろう・・・(´ω`*)



  

    因みにすぐそばには,勝運祈願の若乃花と貴乃花の手形もある。


   

   

        本堂前の沢山の蓮の花は,実は鉢に植えられている。

  

     お陰で蓮池の中に建物が浮かんでいるように見えるな。


  

            本堂横の阿弥陀堂鐘楼


   

                阿弥陀堂

この阿弥陀堂は,親鸞聖人の父,日野有範(ひのありのり)のお墓の上に建てられたと伝えられている。

そう言えば親鸞聖人って,実在の人物かどうか怪しまれていたんだってな。

でも,大正10年に西本願寺で見つかったご内室*の手紙が決め手となって,実在した人物とされたそうだ。

*ご内室・・・身分のある人の妻や他の人の妻の敬称(ここでは坊守と同じ)。


しかし,チャレンジャーだよなぁ~。


仏教界初の妻帯者だったんじゃないかな?

だって,今では僧侶の妻帯は普通になってるけど,当時は僧侶=出家=独り身だろ?

日野一族と言えば,一応,藤原北家後に連なる家だ。

義満の御台所業子(なりこ)や同じく義政の御台であった富子が有名かな。

とは言っても,有範の生きた時代はもう少し前の平家の全盛時代で,貴族政治は終焉。

更に付け加えると,本家ではなく傍流の出身だったそうだ。

しかも有範は親鸞が幼い頃に出家し,その後亡くなっている。

そんなバックグラウンドを持つ為か,親鸞も幼い頃に出家し,弟たちも出家しているそうだ。


・・・・・・違う。

今日は真宗の話をする日じゃない。

軌道修正しないと。


     

       誤魔化すために蓮の写真をUp。


  

   誰でも撞いていいらしいけど,誰も触っていないと躊躇してしまう。      


         

                三重塔

三室戸寺のシンボルのように思えるかもしれないけど,実は他のお寺から移築されたものなんだな。

元々は,三日月藩主である森一族が菩提寺とした古刹である兵庫県の高蔵寺にあったんだって。

高蔵寺の歴史は古く開創は725年。

奈良時代なので誰が開基か想像つくだろうけど,例によって行基によるものだ。


で,この三日月藩の初代藩主って人が高蔵寺に三重塔を建てたそうだ。

ただ,明治維新後の版籍奉還により,森一族も地元を離れることになってしまったから大変だ。

何しろお寺って言うのは,檀家数が少なければ保って行けない。

ましてや,弱小とは言えど大名家が抜けた穴を塞ぐのは至難の業だ。

そうするうちに資金繰りが悪くなり,とうとう寺の持ち物を売りに出すようになってしまったと。

NHKの日曜美術館で取り上げられた原三溪の三溪園でも同じような話があったと思うけど,廃仏毀釈の流れもあってこの三重塔も売りに出されてしまったんだな。

そして,明治43年に三室戸寺へ移され,昭和50年代に現在の位置へと収まったそうだ。


   

  上の写真で相輪が写らなかったので頑張ったけど,やっぱり無理だった。

 

さて,道草をしていたので,今日も終わらなかったぞ。

では,おやつ。


以前にも紹介した亀屋清永さんからお菓子をチョイス。

  

  ご存知なみんなも多いと思う清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)。


昔はすごく立派な箱入りしか取り扱っていなかった気がするんだけどな。

最近では,ばら売りもあるんだなっ♪

 

  

           不思議な形のお菓子。


これは唐菓子(からくだもの)と呼ばれるもので,遣唐使によって仏教とともに日本へ伝えられたものだそうだ。

伝えられた当時は非常に高級な品だった為,貴族しか口にできず,または供饌菓子とされたそうだ。

1個500円するけど,頑張れば庶民派な「かえる」でも買えるお値段だ。

 

しかし・・・

  

          独特なフォルムに目を奪われる。


袋から出すと漂ってくるのは,ゴマ油のにおい。

かなり匂う。

まぁ,見たまんまって言うか,どう見ても揚げ菓子だよなぁ~。


しかし,さっきから気になってるのは別の匂いだ。

子供の頃はこの匂いが苦手で,イヤイヤしてたような気がする (;´∀`)

今はさすがに問題なく食べれるけど,苦手な人はどうだろうか・・・。

 

  

    正しい作法があるそうだけど,真っ二つに割ってみた。


中にはたっぷりのこしあん。

粒あん派だけど,このお菓子の製法を考えると,こし餡でも納得するしかない。

外身だけ食べてもあまり味気がないので,できれば餡子と一緒に食べた方が良いと思う。

簡単に言えば揚げ餃子の皮,但しぶ厚いけど。

(結構,硬いので,お口の中が荒れてる人は気を付けて欲しい)


では,試食!

  

           やっぱり硬い・・・・・・(´・ω・)


分かっていても硬いと思う。

こし餡の中には,「清め」を意味する7種類のお香が練り込んであるんだ。

だから,人によっては食べるお線香と呼んでいる(知り合い2名)

白檀,桂皮,丁子などが入ってるので好き嫌いが分かれるかもしれないけど。

そう,7種類のお香を練り込む為に,こし餡なんだと思う。

揚げた為かもしれないけど,あんこは水分が少な目。

好きな人は,はまるに違いない味と香りなんだけどな。


という訳で,ハラの中にお寺が入ってるような不思議な気分になる清浄歓喜団に興味のあるみんなは,是非ともお試ししてくれよなっ♪

亀屋清永さんは,祇園交差点から安井さん方向へ3~4分くらいにあるので,見つけやすいと思うんだな。


お線香の匂い苦手・・・というみんなには「京びすけ 和蘭(わらん)」をどうぞ。

梅ノ間には泊まれないそうだ。 ~寺田屋訪問その2。~で紹介してるぞっ♪