では,令和2年も橿原神宮からスタート。


       橿原神宮の北参道の鳥居の建て替え中の様子。(令和元年秋)


    

以前,神武天皇陵へ行ったお話をしただろ?

あの時に「すごくお天気がいい」って思ったんだけど,実際,奈良の降水量は少ないそうだ。

奈良の年間降水量は1300mmくらいだって。

名古屋も東京も約1500mmで,全国平均は1700mm。

因みに一番多い高知は3600mm以上で,一番少ないの長野は900mm程度。

晴れの国と言われる岡山は約1140mm。

降水量が少な目の奈良と一番多い高知を比べたら1/3って考えると,やっぱり晴れの日が多いって分かるな。


 

            橿原公苑で見つけた大きな石碑     


             


そんな奈良には古都があり,昔から盆地(大和平野)では稲作が行われてきた。

「大和豊年米食わず」

降水量の少ない筈の大和で十分な雨が降って豊作になると,他の地域では雨が多すぎて米ができない。

裏返すと,大和以外の降水量が平年通りで豊作なら,大和は旱魃になるって事だな。

その為,この地域では昔から多くのため池が作られてきたそうだ。


でも,ため池を造ったって,雨が降らなければどうにもならない。

それで江戸時代には吉野川の水を奈良へ引く計画が立てられたそうだ。

だけど,この計画は紀州藩の反発にあって断念。

当時は今以上に水が重要なライフラインだったんだろうし,紀州の気持ちも分かるんだけどな。


で,流れてしまったこの計画だけど,その後長らくの間実行に移されることはなかった。

なんと,この分水計画が動き始めたのは戦後になってからだと言うから驚いた。

江戸時代に立てられた計画が300年越しに達成,ってすごく気の遠くなる話だな・・・。

そんな訳で,吉野川分水工事は1987年の完成。

それを記念したものがこの石碑のようなんだ。



なんとも言えない気持ちのまま,今回のメイン目的地の一つへと向かうことにした。


   

        やって来たのは畝傍御陵前駅


別に電車に乗る訳じゃないんだけど。

   

          地下連絡通路を使って,線路の反対側へ向かう。


   

   連絡通路の奈良県社会福祉総合センター・市町村会館方面へ出る。



そこから約10分,東へと歩く。


         

         途中に案内看板があるので,安心して散策できる。



思ったより早く到着!

   

   特別史跡 本薬師寺(もとやくしじ)跡。


その名の通り,お寺の跡なんだな。

このお寺は天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒の為にと建立計画を立てたものなんだって。

ただ,完成前に天武天皇が崩御してしまい,結局,持統天皇によって完成されたそうだ。

登場人物が小学校の教科書レベルの有名人ってすごい!

(感激のあまり語彙力が低下してる)


で,寺跡を見に来たのかって言うと,どっちかというとそっちはオマケだ。
今回の旅の目的は,季節外れのお花見散歩だ。




という訳で・・・

   

          沢山のホテイアオイの花が咲いている。


どうやら,ホテイアオイは米の生産調整の為の休耕田に植えられているようだ。

確かに,水田ならホテイアオイの育成環境としてはぴったりだよなぁ~(´ω`*)


   


見頃のピークは8月末から9月だそうなんだけど,実は出掛けたのは10月20日過ぎ。

(一応,橿原市の観光サイト「かしはら探訪ナビ」でホテイアオイの開花状況はチェックしておいた。)



   


この写真だと,緑のぶ厚い絨毯の中にぽつぽつと花が咲いてる感じで,ちょっとハゲてるところもある。

でも,もしも満開の時期に来たら,この辺り一帯が一面淡い紫色の絨毯に見えるんじゃないかなぁ~。


   

  英名Water hyacinth(ウォーター・ヒヤシンス)の名の通りにとても華やかだ。


   

            かたまって咲いている場所もある。


ホテイアオイって,よく晴れた日には沢山の花が咲くんだ。

でも,曇りの日にはさっぱりな事もあるから,いいお天気の日でラッキーだったと思うんだなっ♪


   

   うっすらと汗をかくような暑い日だったけど,柔らかな色合いの花に癒された。



休耕田のホテイアオイを堪能したので,すぐ脇の寺跡へと目を向ける。


      

             元薬師寺跡の石碑。


   

             石が並んでいる。


これらの石は,どうやら金堂の礎石だった物のようだ。

このお寺は金堂・東西の塔・中門・講堂の伽藍配置とされていたけど,去年の秋に更に南門跡が発見されたんだな。

残念な事に,埋め戻されてしまったそうなので門跡を見ることはできなかった・・・。


   

     一応,お堂が建っているけど,中の様子は分からなかった。


     

 司馬遼太郎のエッセイ「司馬遼太郎が考えた事」からの抜粋が貼られていた。


『~きょう、田の中にある元薬師寺の礎石の群れをさがしあてた。

礎石のむこうは葦牙のにおいたつような万葉ふうの野、といいたいが、そこまで注文通りにはいかない。

畝傍の裏のただの麦畑である。 (昭和41年6月)』


司馬遼太郎も同じ風景を見ていたのかと思うと不思議な気分になるなぁ。

今は,礎石のむこうはホテイアオイ農園が広がっている。

水田に馴染んだそれは外来種とは言え,この長閑な景色に溶け込んでいる気がする。

管理しているんだし,それはそれでいいんじゃないかなぁ~と思ったけど,どうだろう? (´ω`*)


   

             礎石はかなり大きい。


どの石も,こたつ机くらいあるかなぁ?って程に大きい。


   

            上物は無くなっても礎は残る。


やっぱり何でも基礎って重要だよなぁ。

建物は勿論の事,勉強だって,運動だって。

今年こそは,中途半端になってる事をきっちりと基礎から叩き直したいものだな。

って,New Year's resolutionが達成できた事がないので,多分,来年も同じことを書いてる気がする (/ω\)

 


では,気分直しにおやつだ。

   

          奈良 福みくじ ラングドシャ


そろそろお正月気分が抜けないといけないんだけど,まだ松の内だし・・・許されるだろ?



   

   ずらりと並んだ袋には金運・仕事運・恋愛運・健康運と書かれている。


単に,全体運的なお御籤だと思ってたけど,違うんだな。


   

         まぁ,仕事運あたりから開けてみるか・・・・・・。


   

    甘い香りが広がるにつれ,お御籤の結果への期待度が増す。

 

   

            ・・・・・・#59130;大吉#59130;だ (´・ω・)


嬉しいんだけど,何故に仕事運?

だって,このひと箱の中に何枚も大吉が入ってるとは思えない。

って事は,残りの運勢に大吉は出ない可能性が高いってことだ。


試しに健康運・・・


   

           中吉って,また微妙な引きを・・・。


  

まぁ,いいや,食べちゃえ!


     薄くてさっくりとしたラングドシャ生地に挟まれたのは,ホワイトチョコレート。


甘くて美味しいんだけど,仕事=大吉が納得いかない。

かと言って,大吉がいくつ入ってるのかを確認するために全部封を開けるのは勿体ない。



という訳で,職場や友達と分け合ったら盛り上がりそうな奈良 福みくじラングドシャに興味のあるみんなは,是非ともお試しして欲しいんだなっ♪

「かえる」は八木駅のホームのキオスク(ファミマ?)でgetしたけど,奈良町辺りでも取り扱ってるお店があるんじゃないかな?