では,今日は前回の流れでお向かいさんに向かう事にしよう。
と言う訳で,粟田神社さんへやって来たぞっ♪
前回の合槌稲荷さんとは,三条通を挟んで向かい側(ちょっと斜め)にある。
一の鳥居は,すっきりとした石鳥居。(季節感無視で申し訳ない)
粟田焼発祥の地の石碑。
粟田焼・・・。
そう聞いてピン!と来る人は少ないだろうな。
いや・・・「あぁ,醤油団子の?」という反応はあるかもしれない。
あれ,結構癖になる味だよなぁ~って,お菓子の話はさておきだ。
紅葉は終わりかけだったけど,ピーク時には紅葉のトンネル坂になる。
粟田焼って言うのは京焼(京都で作られたやきもの)の一つで,江戸時代初期に始まったとされる。
やきものって言われても・・・って思った人も多いと思う。
ひょっとしたら,テレビの鑑定番組などで「仁清」の贋作の話を聞いたことがある人はいるんじゃないかな?
1644年,瀬戸で修行をした野々村仁清という人物が,仁和寺の傍に窯を開いた。
当時の京焼と言うのは,釉薬を欠けただけのシンプルな物が多かった。
でも,彼は鮮やかな上絵を付けたやきものを次々と作りだしたんだ。
もう一つ,彼は自分の作った作品に「仁清」の窯印をつけた人物として知られている。
勿論,それまででも名前を入れることはあったんだけどな。
例えば,観光地などの窯で作陶や絵付けの体験ができることがあるだろ?
その時に,名前を書いたり刻んだりすると思う。
それと同じく,共同窯を使う時には目印として名前を入れていた訳だ。
でも,彼は「これは仁清の作品です」と自分の陶工としてのプライドを示したようなんだな。
こういう点も今までの陶工とはちょっと違うんだ。
御神馬
その後,仁清の弟子の尾形乾山(尾形光琳の弟)なども現れ,粟田口・清水・音羽(五条坂)で京焼は発展していったんだな。
粟田焼は,特に将軍家,宮中,公家や豪商などの御用を受けた。
清水焼(清水と音羽)は煎茶道具を得意とし,そこから庶民向けのものも作るようになっていったそうだ。
馬の正面顔って,よく見ると興味深いよな。
明治時代になり多くの公家が京都から去った後には,粟田焼は海外へ輸出されるようになる。
当時は「京薩摩」と呼ばれ,ウィーン万国博覧会にも出品されたそうだ。
そんな華やかなイメージの粟田焼だけど,世界大戦と不況のあおりを受け衰退。
ついに昭和59年には,その火を落としてしまったんだそうだ。
粟田神社本殿。
でも,安心して欲しい。
今でも様々な博物館で粟田焼を見ることはできるし,26年前には新たな粟田焼の陶工が現れ再興されたんだな。
この方,安田さんと仰るんだけど,作品展も開催されている。
確か淡交にも作品が紹介されたことがある気がする。
さて・・・粟田神社さんの入口付近で足踏み状態のまま,辿り着けなかったな。
ごめんなんだな。
と言う訳で,取り敢えずおやつ。
マールブランシュさんのやわらかないすアップルパイだ。
マールブランシュと言えば,ラングドシャ茶の菓が有名だけど,他にも美味しいお菓子があるんだ。
変わった名前だけど,本当にそう書いてあるんだから仕方ない。
いっただきま~す♪
パイ生地はしっとり柔らかで,飲み物が無くても食べやすそうだ。
バターの豊かな風味も感じられる。
どうやら国産の発酵バターを使ってるみたいだな。
フィリングは,ジャム状のりんごの中に小さなサイコロ状のりんごが混ざっていて,ショリショリとした食感がいい♪
更にはレーズンも入っていて,りんごとは違った甘さで飽きを感じさせないな。
サイズも手の平に乗る大きさで,小腹が空いた時に丁度良さそうだ。
う~ん,でも,もう一個いけるかも?
と言う訳で,マールブランシュのやわらかないすアップルパイに興味のあるみんなは是非ともお試ししてくれよなっ♪
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