お待たせしてしまったな。
今日はトロッコ嵯峨駅の19世紀ホールにあるSL展示のお話だ。
リッチ号の新聞記事を見つけた。
『リッチに自然と一体でリッチな気分になるはず』でザ・リッチと命名されたようだ。
もっと何かあるのかと思って深読みしてたけど,分かりやすくていいんじゃないかな。
もっと何かあるのかと思って深読みしてたけど,分かりやすくていいんじゃないかな。
では,展示を見てみよう。
ここにあるものは静態保存,つまり運用を前提としていないようだな。
対義語は動態保存。
こちらは殆ど動かしてなくても,走らせることが可能な状態であるってことだ。
因みに名古屋市科学館前には静態保存なSLがあるんだ。(今は調査で撤収中かもしれない)
ただ,市長はこれを臨海鉄道路線で走らせたいと言っている。
個人的には,走ったら面白そうだし乗ってみたい。
でも,運用する為の費用とか煤の問題もあるだろうなぁ・・・どうするんだろうな?
まずはC58‐48 過熱テンダー*機関車だ。
テンダー*って言うのは,燃料や水を運ぶ炭水車のことだ。
この車両に石炭と水を別で載せる為,より長距離を走れたそうだ。
テンダー*って言うのは,燃料や水を運ぶ炭水車のことだ。
この車両に石炭と水を別で載せる為,より長距離を走れたそうだ。
C58‐48 過熱テンダー機関車
貴婦人と呼ばれたC57の弟分なんだって。
C57よりも動輪(車輪)が小さめでカーブでの小回りが利く感じだったみたいだな。
1974年北海道の釧路鉄道管理局で勇退とあった。
小さめとは言えど,重量100.2t,最高速度85km/h,最大馬力は1097ps。
1馬力は75㎏の物を1秒間に1m動かす力。
でも,数字を並べたってピンと来ないよなぁ・・・。
よくある例えは「重量挙げの選手なら75㎏のバーベルを1秒で1m持ち上げられる」。
ただ,人間の場合は瞬間的な力であって,継続できる訳じゃないだろ?
そう考えると,やっぱりすごいパワーだと思うんだ。
D51-603 過熱テンダー機関車
1975年日本のSL最終運転後追分機関の機関車車庫に留め置かれたそうだ。
だけど,1976年4月13日深夜に起きた火災により,後部半分を焼失!
この被災により,科博への保存展示が中止となったんだって。
その後,一旦解体されたらしいな。
今は残った煙室部分を展示している。
そして『この機関車の処分は、今尚、廃車でなく保留である』と書かれている。
ちなみに機関車=D51(デゴイチ)と言う訳ではないんだな。
同軸の数がアルファベットで表されていて,2本ならB,3本ならC,4本ならDといった感じだ。
1本では走れないから2本が最小。
2本のものは見た事が無いし,残念ながらここにも展示はされていない・・・。
それと,B表記はしないような事を聞いた気がする。
残念な事にこのD51-603は被災した為に,第一と第二動輪しか展示されていない。
第三動輪と思われるものは,北海道の三笠鉄道記念館に展示されているようだ。
続いて,若鷹号。
若鷹号
『日本国有鉄道鷹取工場の技能者養成所の生徒の手によって1939年に改造された蒸気機関車』だそうだ。
若鷹と言うネーミングも若い鷹取工場職員の実習に使われることから付けられたようだ。
前身は,ドイツのコッペル社の小型機(阿波電気軌道の4型7号)。
廃車後,1937年春に鷹取工場へ戻され,実習機となった。
『台枠を前後1170mm延長し、動輪を後ろに移動し、スベリ棒、ピストン棒を長く、ボイラーを高く、運転室を広くするなどの改造』が行われたそうだ。
2000年には,100年の歴史を誇る鷹取工場が閉鎖。
若鷹号の廃棄を惜しむ声に応え,トロッコ嵯峨駅構内で保存されることになったそうだ。
最後にC56-98過熱テンダー機関車
C56-98 過熱テンダー機関車
「ポニー」の愛称で親しまれた(シゴロクポニー)蒸気機関車だ。
どうやら1937年に日本車輌名古屋工場で造られたみたいだな。
愛称は「ポニー」なのに「はと」のヘッドマーク付きなのは何故だろう?
どうやら1937年に日本車輌名古屋工場で造られたみたいだな。
愛称は「ポニー」なのに「はと」のヘッドマーク付きなのは何故だろう?
『その名のように軽快なリズムで走る愛らしい仔馬のようなSLである』
乗ったことないから蒸気機関車の『軽快なリズム』感が分からないけど,きっと軽やかなんだろう・・・。
まぁ,小型だからって言うのかもしれないけど。
さっきの続きだけど,C56-98の56の部分では,タンクかテンダーかを見分けることができるんだそうだ。
10~49までがタンク機関車で50~99がテンダー機関車。
タンク機関車は本体に石炭と水を載せている。
沢山の燃料を積めない為,長距離運転には向かない一方,近郊での輸送には大いに用いられたんだって。
最後の数字は単純に製造順を表している。
もしC56-1なら,C56の一番古いもので,今回は98なので98台目ってことだな。
お客さんが数人しかいないから,ゆっくり見て回れるなっ♪
・・・・・っと!?
びっくりした・・・人形か・・・
説明には【日本にはかつて”人車”の時代がありました】とある。
人車
明治中期の庶民の足だった”人車”。
たった60年ほどの活躍だったそうだけど,当時は人気があったみたいだな。
ただ,定員は4名程度までの上,多くの路線が単線と輸送力はいまひとつ。
因みに,京都には人車軌道はなかったっぽいな。
その路線の殆どは静岡よりも東寄りだったそうだ。
輸送力や効率で自動車化には勝てず,昭和初期にはほとんどの”人車”が消えていったそうだ。
さて,そろそろトロッコ嵯峨駅ともお別れだな。
写真中央がトロッコ列車の改札。
左にちらりと見えるのが前回のあられを買ったお土産屋さんで,右が券売所。
あ,これは・・・・・・(/・ω・)/アタリ!
毎年夏の暑い時期は仕事と最低限の用事でしかでかけないから,余り変わってない気もするけどな。
ワクチン(モデルナ)の2回目の予定も9月にあるし,異物混入のこともあって憂鬱だなぁ・・・。
ってことは,蔵出し写真を早急に掘り出さないといけないって事か。
何かあったかなぁ?
何かあったかなぁ?
季節感は無視するとして,うろ覚えなので短文で書くしかないな。
と言う訳で,みんなも体調にくれぐれも気を付けて欲しいんだなっ♪
と言う訳で,みんなも体調にくれぐれも気を付けて欲しいんだなっ♪