首都圏を除いて緊急事態宣言が解除されるな。
正直,微妙な前倒しをする必要性は分からないけど。
では,今日のお話は秋の嵐山からお送りしよう。
この道はどこへ続いているんだろう?
少し前に二尊院*さんのお話をしたのを覚えてるかな?
二尊院*さんについては ↓ その1~その5
錦を織り成す。~二尊院2020。その1~
錦繍の如く。~二尊院2020。その2~
隠逸の花。~二尊院2020。その3~
袖の時雨。~二尊院2020。その4~
甘き謂れ。~二尊院2020。その5~
で,その4の中で,藤原定家の小倉山荘跡地のお話をしたんだな。
中院山荘跡(小倉百人一首ゆかりの地)
残念ながら,こちらは看板のみで建物などはない。
藤原定家の小倉山荘跡地には3つの候補地があって,その一つが二尊院裏の小倉山。
二つ目は,常寂光寺。
そして三つ目が,今回の目的地だ。
石畳の敷かれた小路。
場所をうろ覚えで周囲をぐるりと一周してしまったけど,無事に小路へ入りこめた。
まぁ,いい運動になったと思えばいいか・・・(´・ω・)
こういう狭い道って,ちょっぴりドキドキするよなぁ~。
如意山 厭離庵(にょいざん えんりあん)。
この厭離庵は,定家が小倉百人一首を編纂した場所の跡に建てられたお寺だ。
「厭離」(えんり/おんり)とは浄土宗で「穢れた現世を嫌い離れる事」だそうだ。
聞きなれない「厭離」と言う言葉だけど,「厭離穢土 欣求浄土」(お(え)んりえど ごんぐじょうど)これならどうだろう?
徳川家康の旗印に使われていたこともあるので,ご存知な人もいると思うんだな。
家康がまだ松平元康と名乗っていた頃,桶狭間の合戦後に自害しようとしたところをお寺の住職に「厭離穢土 欣求浄土」と説かれ奮起したお話は有名だ。(地元民だけかもしれないけど)
意味は「戦国の世は穢土(穢れたもの)であるから,これを浄土のような平和な世にせよ」って感じだろうか。
江戸時代が本当に平和だったのかはさておき,少なくとも戦乱が続く訳ではなかったのは確かだからな。
さて,なんだか道草が酷くなっているので軌道修正しよう。
時雨亭
大正12年(1923)に裏千家出入の数寄屋大工岡田永斉によって,茶席「時雨亭」は再建されたそうだ。
この厭離庵は通常一般公開をしていない。
小さな庵だけど,お庭は高低差もあってなかなかに広く感じる。
苔がもふもふの予感!!
とここで,長くなりそうなので,唐突におやつ。
五建外良屋さんの大玉みたらし。
わざわざ大玉とつけるだけあって,すっごく大きなお団子だ。
おや,毎度のことだけどちょっとボケてる。
それでも見ているだけで,よだれが出てきてしまう・・・(´﹃`*)
いっただきま~す♪
みたらしの餡は,ねっとりとしていて甘めだ。
お団子一つ一つはピンポン玉ほどの大きさなので,食べ応えも十分!
一口齧ると,そのもっちもっち感に驚くことは間違いない。
程よい柔らさと,「もきゅ」っとした弾力。
これ,お団子だけでもいけそう・・・(*ノωノ)
そう思ってしまう程だ。
そう言えば,秋にスイーツのスタンドでお団子を買ったんだ。
これがなぁ~大失敗で。
生クリームと苺で注文したら,肝心のお団子が固くて嚙み切れない。
まぁ,冷たいお団子を頼んだのが間違いの元なんだろうけど。
しばらく口の中でもぐもぐと噛んで,諦めて飲み込んだ。
そのせいか夕方までずっとハラが痛かった(´Д`)
じゃあ,炙りにしてたら柔らかかったのか?
たぶん,もう試さないので永遠の謎だ。
愚痴ってすまない。
と言う訳で,五建外良屋さんの大玉みたらしに興味のあるみんなは,是非ともお試しして欲しいんだなっ♪
お店は京阪清水五条近くの五条通り沿いだ。
通りを挟んで東山郵便局があるので,すぐに見つかると思うんだ。