旧blog ぼくと「かえる」日記(引越し先)
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「かえる」の「こじろう」の見たこと,聞いたこと,感じたこと。
ようこそぼくと「かえる」日記2へ!
今までも読んでくれてたみんなも,偶然発見したみんなも,遊びに来てくれてありがとう
なんだかんだで「かえる」日記も2冊目に突入したんだなっ♪
突然の2度のアメリカ赴任,そして帰国後の生活はドラマのように大どんでん返し
やっと状況が落ち着いたかと思いきや,急な転勤辞令で落ち着かない事この上ない
人生いつ何が起きるか分からない
そんなジェットストリームな日々に振り回されっぱなしな「かえる」が,だらだら綴る日記だ。
お暇な時にでも,覗いてみて欲しいんだなっ♪
鴇色のミステリー。 ~橿原でハイキング。その8。~ [思い立った奈良]
今日は早く帰って来たんだけど,「ダーウィンが来た!」を見てたら夢中になっていてUpがいつもと変わらないような時間になっていた。
今日はガーの特集回だったんだな。
特にアリゲーターガーが有名かな?
ガーって言うのは,シーラカンスと同じように,恐竜たちが生きていた時代から生態を変えていない巨大な生きた化石なんだぞっ♪
で,それを見ていたらガーのぬいぐるみが欲しくなった。
できればスポテッドがいいなぁ~と検索したら,アリゲーターガーのペンケースはあるようだ。
ただ,ちょっと不細工気味なのでどうしようか悩ましい。
* * * * * * * * * * * *
では,今日も橿原をぷらぷらっとハイキングだな。
前回は,初代天皇の神武天皇陵へ行ってきたお話だったけど,今回は第2代の陵墓だ。
神武天皇陵から元来た県道へ出て,15分ほど北へ向かう。
さっきも似たような景色だったなぁ~と思ったら,やっぱりここが目的地のようだ。
ただ,入口には神武天皇陵のような石碑は立っていない。
ところで・・・みんなは第2代の天皇が誰だか知ってるかな?
では,答え合わせ。
第2代は,綏靖(すいぜい)天皇だ。
綏も靖も「やすんずる」と読めるので,国を安定させるという意味合いの諡なんだろうか?
何しろ存在自体があやふやな欠史八代(第2代~第8代)の1人目なので,情報が少ないんだな。
しかし,この綏靖天皇には変な言い伝えと言うか,逸話があるんだ。
なんでも,朝晩に人を食べていたと言われているんだ・・・。
ただ,これは後世の創作であるとされているので安心して欲しい。
まぁ,古代中国とかではカニバリズムな話はよく見受けられるけどな。
恐らくは何か元になった出来事があるんだろうけど。
ひょっとしたら,異母兄との跡目争いとかが原因とかかな。
この時代にはおかしい話じゃないんだろうけど,異母兄は父親(神武天皇)の死後,その皇后(綏靖天皇の母)を娶ったんだ。
で,異母弟(綏靖天皇)たちを排除しようと試みたんだって。
結局,返り討ちにされちゃって,綏靖天皇が2代目として即位する訳だ。
L字の参道は短めで,目と鼻の先に鳥居が見える。
そもそも欠史八代の時代については,現状,どこまでが事実でどこからが創作なのか分かる訳がない。
全ての天皇陵の大規模発掘でも行われない限り,一般人がそれを知ることはできない。
でも,見方によっては墓荒らしだから,難しいよなぁ・・・。
個人的には,全く謎の無い歴史って言うのもつまらないものだと思う。
知りたいっていう欲求もあるけど,何かしらのロマンがあるなら謎は謎のままでもいいかも,と思ったりもする (*´ω`)
・・・初代と違って,結構小規模なんだな。
簡単な門扉があるだけで,手前に鳥居はない。
う~ん,ちょっと拍子抜け。
だって,初代がアレなら2代目の綏靖天皇陵だって・・・って思うだろ?
特に橿原神宮から流れてきてるからだろうけど,余計にその規模に驚かされる。
陵墓は円丘で直径約30メートル高さ約3.5メートルの円墳のようだ。
実は,江戸時代には「ここ」こそが神武天皇陵とされていたそうだ。
そして,補修工事なども行われている。
言われてみれば「ここ」も畝傍山の東北だからなぁ。
確か,去年調査が行われた筈だけど凄い発見があった訳ではなさそうだし,今後に期待だな。
ひっそりと森の中に隠されている。
因みに綏靖天皇陵の正式名称は,桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)。
これはまた,初見では読めない振り仮名だ。
まずは,前回同様に分解しよう。
一般的に,「桃花鳥」は鴇(トキ=朱鷺)の事を指すんだ。
鴇って,ぱっと見は白いけど,翼や尾が淡紅色で桃の花のような色合いをしているだろ?
そこから「桃花鳥」は「トキ」の事を指すと分かる。
で,ここで一捻り。
実は,万葉集や日本書紀では「桃」を「ツキ」と読んでいたようなんだな。
桃の花で染めた桃花布は「つきそめぬの」で,桃花褐は「つきそめ」なんだって。
これで「桃花鳥」が「つき」と読めるようになっただろ?
鴇も江戸時代に訛ってトキになったという説もあるくらいだし,言葉の変化っておもしろいよなっ♪
あ,でもギャル語は変換するのが難しいものもあるから,興味深いようで悩ましい言葉の変化だな。
話を戻して。
そしたら後は簡単だな。
桃花鳥(つき) 田(だ) の 丘(おか) の 上(え=うえ) の 陵(みささぎ)。
ひょっとして,丘上を一括りで「おかのえ」の方が正しいかな?
でも,これでもう噛むことなく読めるようになった筈だ。
さらっと読めるようになったところで,疑問が湧いてきた人がいる思う。
「おかのうえ の みささぎ」なんだろ?って。
そう,ここはどう見ても平地だ。
・・・・・・初代にしては小規模過ぎるけど,2代目のものだとしたら場所がしっくりこない。
まぁ,この辺りって藤原京の為に削平してる場所があるようだから,ひょっとしたら・・・って事も無きにしも非ずかも。
謎が謎を呼ぶ。
これが歴史の醍醐味っていうものだけど,やっぱり大々的に調査して欲しいような~と矛盾した思いが悩ましい。
スダジイかな?
参道には沢山の団栗が落ちていた。
ちょうどいい季節だもんな。
普通の団栗と違って,実を丸ごと包み込むような殻がある。
細長くて,筍のように先が少し沿っているのも特徴だ。
因みに,スダジイは灰汁が少ないので,炒って食べることができる。
でも,場所が場所なだけに,許可なく草木や石を持ち出しちゃ駄目だぞ。
それに,仮にもお墓に生えてる団栗だからな,食用にするのはどうかと思うんだな。
では,おやつ。
Lilionte(リリオンテ)Xづっとなら Lili-chocone(リリショコネ)。
ところで,づっとならって何だろう?
「伊勢の海の 沖つ白波 花にもが 包みて妹が 家づとにせむ」
これは万葉集に載っている歌で,養老二年(718年)に元正天皇の美濃国への行幸に随行した安貴王(あきおう)が詠んだ歌だ。
「伊勢の海の白波が花であったなら 包んで彼女へのお土産にするのになぁ~」って感じかな。
「つと」って言うのは,食料を布や葉っぱで包んだ物の事だ。
じゃあ,「家づと」は?って言えば,多分,予想がつくだろうけど,家で待っている家族の為に旅先の食べ物などを持ち帰ったものを指すんだな。
これを踏まえて,大切な誰かへの「家づと」が「ずっと」続いていくようにとの思いを込めて「づっとなら」という名付けたんだって。
手のひらに載るサイズの箱なんだけど,凝ったデザインだ。
箱の上に描かれた鹿の顔を模った水引が可愛いな。
因みに,この鹿の水引が刺繍されたタオルもあるんだぞっ♪
残念ながら買ってはいないんだけどな。
で,肝心の中身は?
まぁるいお菓子が入ってる。
個包装された謎のお菓子。
う~ん,取り敢えず割ってみるか・・・・・・
表面はコーティングされている為,刃先が入らない。
思い切って割ったけど,失敗した・・・(;´∀`))))
すまない,コレジャナイ感が凄いなと反省してる。
ま,取り敢えず試食タ~イム!!
という訳で,口の中へ放り込む。
・・・表面のコーティングはm&m'sみたいなチョコレートだ。
口の中では,ぱりぱりと小気味いい音を立ててチョコが割れていく。
チョコの内側には,ドラジェのような甘い層がある。
ん?
あれ,この中身って,まさか・・・
ラムネ!?
チョコにラムネとは,なんとも不思議な味わいだ。
でも,ちょっと癖になる味だな。
そう言えば,最近,森永のラムネ菓子が巨大化しただろ?
ラムネの瓶を真似た容器のあれを1.5倍サイズにしたパックが売ってるんだな。
瓶型のは子供のお菓子っぽくて買うのに躊躇するけど,袋入りなら大人でも買いやすい。
ハイキングの時,ぶどう糖を摂取するのにも大きいサイズの方が効率も良いと思うんだなっ♪
と言う訳で,ちょっと脱線気味だけど,LilionteXづっとならコラボのLili-choconeに興味のあるみんなは,お試ししてくれよなっ♪
橿原なら,八木駅の橿原ナビプラザに売ってると思う。
ただ,コラボ商品なので,限定品の可能性もある。
どうしてもって言う人は,事前に確認して欲しいんだな。
うねびやまのうしとらのすみのみささぎ。~橿原でハイキング。その7。~ [思い立った奈良]
さて,今日は橿原神宮から少し離れた場所からスタートだ。
前回,北参道から外へ出たんだけど,そこから県道沿いに少し北の方へ歩き出す。
しかし,あっついな。
今,30度以上あるんじゃないか?
奈良(橿原)って,思ってたよりも暑い。
名古屋とは違った暑さで,あくまでも個人的な感覚だけど,名古屋より断然に湿気が少ない気がする。
でも,太陽が近いような感覚を覚える。
そんな訳でやって来たのは,神武天皇陵だ。
ちょっと斜めで申し訳ない。
ガラケー持ちなのでタブレットとコンデジを使ってるんだけど,カメラって便利だなって思う。
当然だけど,片手で操作しやすい。
タブレットは色々便利だけど,片手で操作は・・・やっぱり難しいな。
指がつりそうになる (;´Д`)
県道沿いに突然現れる玉砂利の道に驚かされる。
白い玉砂利とは対照的な鬱蒼と茂った木々に挟まれた参道。
水は少ないけど澄んでいる。
これも周濠なのかな?
墳丘が見えないし,まだ先にも周濠がありそうだな。
通常,古墳を造る時には墳丘予定地の周囲を掘って土を盛るんだけど,この堀を周濠と呼ぶんだ。
結局,Google先生に頼ったところ,墳丘の周囲にしっかりした周濠があるようだと分かった。
どうやら,その幅は16メートルにも及ぶようだ。
玉砂利の敷かれた参道を歩き出す。
歩き始めたはいいけど,物凄く玉砂利が深くて,またまた驚く。
う~ん,革靴だと半分くらい沈み込みそうだな。
多分,目的地に着くころには靴の中に石が入り込んでるんじゃないかな。
まぁ,「かえる」はハイキング仕様だから問題ないんだけど。
問題と言えば,人様のお墓へ向かうのに軽登山の服装な方が問題になりそうだ。
日向と日陰の差が激しい。
9月の終わりなのに30度超えてるんじゃないか?っていうくらいのいいお天気な訳だけど,多分,それだけじゃない。
橿原神宮でも思ったけど,太陽が近くに感じられるって言うか,眩しい。
「かえる」の地元の熱田神宮も玉砂利が敷かれた広い参道があって,両側には森のようになっている。
でも,雰囲気が違う。
静かなのは同じなんだけど,少し薄暗くて少し湿り気を帯びたしっとりした空気が流れている。
少し前,即位礼の時に天叢雲剣が東京に運ばれたから,名古屋は晴れて東京は雨降りってtweetが流れてただろ?
あれってあながち嘘でもないのかも,って思うんだな。
まぁ,個人的な感覚によるものだけど,少なくとも熱田さんがカラっとしてるとは思わない。
2つ目の周濠は,薄暗い影の中にあって様子がよく見えない。
巨石をくり抜いた手水鉢。
さて,手水鉢があるという事は,いよいよ目的地に到着したってことだ。
素木の鳥居は天皇家と関わりがある事を示している。
真正面の鳥居の奥には,小振りな鳥居が見える。
ここでふと思う。
参拝?は神社と同じような作法でいいんだろうか?
う~ん・・・人っ子一人いない。
静かなのはいいけど,こういう時に右に倣えもできないのは困ったものだ。
どうしようかと暫く悩んでみたけど,はっきり言って挙動不審人物にしか見えないだろうな。
防カメくらいはあるんだろうし,これ以上の棒立ち状態は危険過ぎる・・・(;´Д`)
先日行われた親謁の儀の時には,奥の門扉も開いていたな。
テレビで見た時に,こぢんまりした鳥居の更に奥に鳥居があるのが見えたけど,門扉の隙間からぼんやりとそのシルエットが見える。
どうやら二つ目の鳥居と最奥の鳥居の間にも周濠があるようだ。
そう言えば,ここは一般的には神武天皇陵と呼ばれているけど,実は畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)なんだって。
振り仮名で読むと頓珍漢になりそうだけど,神武天皇陵は畝傍山の東北にあるとされていたそうなんだな。
だから,うしとらは丑寅で東北の事。
陵は,訓読みで「みささぎ」で,丘とか王族などのお墓のことを指す。
こうやって分解すると,畝傍山の東北の隅にある墳墓だって分かるだろ?
実は,今の場所以外にも幾つかの候補地があったようなんだ。
ここが本当の墳墓の場所だという決定的な何かがあったのかどうかは分からないけどな。
だって,天皇陵は皇室の財産の為,文化財保護法の適用外で学術調査が難しい。
できることなら調査研究を進めて欲しいような気がするけど,自分の身内のお墓だったら・・・とも思うし,難しいな。
どの鳥居も決して大きなものではないんだけどな。
広い空間の中にぽつんとあるからだろうか,とても荘厳な感じがする。
お天気に恵まれたっていうのも大きいかな。
抜けるような青空の下には樹で覆われた森のような墳丘。
そしてどこまでも続くような錯覚を覚える白く輝く玉砂利。
陵墓なのに,とても穏やかで,どこを切り取っても絵になるってすごいなぁ。
なんて言うか,語彙力が乏しくなるくらいの迫力がある場所だったんだな。
そんな訳で,今日は神武天皇陵へ行ってきたお話だったぞっ♪
ここまでの移動をまとめるとこんな感じだ。
1.橿原神宮→2.東大谷日女命神社→3.畝傍山口神社→4.畝傍山山頂(三角点)→(若桜友苑)→5.イトクノモリ古墳→6.神武天皇陵
という訳で,次回は綏靖天皇陵からスタートだ。
今日はちょっと遅くなってしまったので,おやつは次回に持ち越しで。
すまないんだな・・・(´・ω・)